自動車だけじゃない! 日産・トヨタ・SUBARU・スズキが残した「住宅産業」への大きな影響とは

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自動車メーカーが住宅開発・建設へと進出を図るケースも珍しくない。自動車製造の技術を用いて活発的に住宅を生産。戦後、盛んになった。

前川國男と組み立て式木造住宅

トヨタ自動車のウェブサイト(画像:トヨタ自動車)
トヨタ自動車のウェブサイト(画像:トヨタ自動車)

 1941(昭和16)年、政府は住宅問題を解決するために住宅営団を発足。戦後も1950年に日本住宅公団を設立している。現在の住宅事情からは想像することが難しくなっているが、住宅の供給や改良は行政にとって解決しなければならない大きな課題であり、国民も住宅問題は行政が責任をもって取り組む課題だと認識していた。

 こうした政府の動きに呼応するかのように、自動車メーカーも住宅生産へと参入する。鮎川は満洲で培ったノウハウから日本でも住宅事業を模索したが、鮎川の心を動かしたのは建築家の前川國男だった。前川は住宅を組み立て式にすることで住宅建設の工程数減少や時間短縮が可能であると考えた。前川の考えに、構造家の小野薫も同調。

 資金的なバックアップを鮎川が務めることで、組み立て式の住宅建設の研究が進められた。組み立て式の住宅は戦線期に実現することはなかったが、終戦後の住宅不足では注目を浴びる。

 前川が考案した組み立て式の木造住宅は、プレハブのPREと前川のM、小野のO、それに工場生産を担当した山陰工業のSを組み合わせて「プレモス(PREMOS)」と命名された。山陰工業は、もともと満洲重工業開発の飛行機製造を担当していた工場で、鮎川とのつながりがある。

 それまでの住宅建設は、大工が現場で作業することが多かった。そのため、着工から完成までに時間を要した。組み立て式という画期的なプレモスは、工場で建材を加工。現場や工場であらかじめ組み立てるので、現場での作業を必要としない。

 戦災復興で家屋再建を急いでいた政府などからプレモスは注目され、主に進駐軍の集合住宅や国鉄職員宿舎などに採用された。また、多くの労働者でにぎわう炭鉱の集合住宅としてプレモスは歓迎される一面もあった。鮎川自身も本邸・別邸の一部をプレモスで建設している。

 しかし、建設スピードが速いプレモスとはいえ、そもそも部材の調達が困難を要して終戦直後だったこともあり、プレモスは約1000棟が建設されるにとどまった。

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