「ヤンキーはなぜ高級車に乗れるのか?」 ネットの素朴な質問が示した、都市部ホワイトカラーとの「逆転現象」
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地方で高級車が与えられる背景
農家や地主の家庭で、子どもに高級車を持たせる行為は、都市部で語られがちな「甘やかし」とは異なる文脈に置かれている。
文部科学省のデータによれば、私立大学文系学部に進学した場合、4年間の学費だけでも400万円前後に達し、下宿や生活費を含めれば負担はさらに膨らむ。進学にともなって都市へ送り出す選択を取らず、地元での就労を後押しする家庭も少なくない。その際、車両を与えるという判断は、消費の放縦ではなく、一族の資産や生活基盤を長期的に維持するための現実的な資金配分として理解する余地がある。
地方において車は、地域社会への帰属を示すわかりやすい基準として機能してきた。現金収入が不安定でも、土地という含み資産を抱える家計にとって、車は趣味の対象ではない。後継者をつなぎ留め、家庭内の秩序を保つための手段として扱われている。都市で重視されがちな「将来への備え」としての教育投資と、地方で選ばれやすい「現在の居場所」を固める耐久財への支出。その緊張関係が、この判断の背景に横たわる。
摩擦が生まれる理由は、消費の見え方に偏りがあるからだ。高級車という結果は誰の目にも映る一方で、それを可能にした生活費の親負担や、大学進学にともなう支出が発生していない事情は外から見えない。前提条件が伏せられたまま、結果だけが評価される。
SNSの環境では、この象徴的な断片が切り取られ、共有されやすい。都市部のホワイトカラーが抱く「理解しがたい不公平感」と、地方の特定層が感じる「実利的な合理性」。その間に横たわる溝は、立場を越えた対話の難しさをそのまま示している。高級車は移動の道具にとどまらず、持ち主の経済的、社会的な前提を他者に突きつける存在になった。
車は、個人や世帯の経済構造を映し出す鏡へと変わった。「高い車に乗っている人は成功者」というわかりやすい図式はすでに力を失い、代わりにどのような金融の仕組みを使い、生活コストを誰が引き受けているのかが透けて見える。
自動車検査登録情報協会の統計を見ると、群馬県や福井県では、1世帯あたりの自家用車保有台数が全国平均を大きく上回り、1.7台前後に達している。ここまで数字が伸びる背景は、日常の移動需要だけでは捉えきれない。家計のなかで使途を分散させるのではなく、世帯として得た収入を車という耐久財に寄せていく生活様式が、そのまま台数に表れているようにも見える。
自動運転や共有型サービスが浸透していけば、所有そのものに意味を見いだし続ける層と、移動を機能として割り切る層との差は、これまで以上にはっきりしてくるだろう。