「私鉄王国」に潜む廃線通告! 100km超路線の「老舗ローカル線」を救えない自治体ジレンマ
人口減少と燃料高騰で収支が逆転する富山地方鉄道は、一部区間廃止の一時回避に留まる。総延長108kmの大規模地方私鉄は、自治体支援や「みなし上下分離」を軸に、新たな鉄道再生モデル構築が求められている。
私鉄王国の成立理念

そもそも、富山地方鉄道とはどのような会社(鉄道)か。
現在の富山地方鉄道は、1943(昭和18)年の陸上交通事業調整法に基づき、富山電気鉄道を母体として発足した。当時、富山県内の私鉄や公営の鉄軌道、バス会社をすべて合併した形だ。こうした合併は富山県に限ったことではなく、当時は軍事統制の意味合いが強かったとされる。
現在の路線は、本線(電鉄富山~宇奈月温泉間)53.3km、立山線(寺田~立山間)24.2km、不二越線(稲荷町~南富山)3.3km、上滝線(南富山~岩峅寺)12.4km、富山港線(奥田中学校前~岩瀬浜)6.5km、富山軌道線8.7kmの合計108.3kmである。
一部路線の廃止で一時は100kmを下回った時期もあったが、大都市圏の私鉄や第三セクターを除けば、長期にわたり100kmを超える路線を持つ地方私鉄は富山地方鉄道のみである。この大規模な地方私鉄の存在により、富山県は「私鉄王国」と呼ばれてきた。
なお、本線の滑川~新魚津間は、現あいの風とやま鉄道(旧国鉄・旧JR北陸本線)とほぼ完全に並走している。電鉄富山~滑川間はそれぞれ離れた区間を走っているが、富山~魚津間全体で見ると競合関係にある。
研究ノート「ある地方鉄道創業者のアントレプレナーシップ(田中祥子)」(高岡法学第33号2015年3月)によると、国鉄と並走する区間は計画当時、私鉄は国鉄の枝線とみなされ、認可されなかった。しかし、創業者は「並行すれども競争せず」の理念を貫き、開業にこぎつけたという。
1943年の合併の際、富山県も関与しており、現在でも少額ながら富山地方鉄道の株式を保有している。富山地方鉄道は、大規模な地方私鉄であると同時に、発足当時から第三セクター的な要素も備えていたといえる。