御茶ノ水が「80年代初頭」まで原宿より断然イケてた理由――自由と集中が生んだ都市文化とは
1970年代、御茶ノ水は“日本のカルチエ・ラタン”と呼ばれた。学生運動の熱が街を覆い、昼の文化が芽吹いた時代だ。1974年の女性大学進学率はわずか11.6%。それでも語学や芸術を学ぶ女性たちが街を彩り、原宿より早く“おしゃれの発酵”が始まっていた。昼に熟す都市文化の原点が、そこにあった。
商業化前夜に存在した“静かな文化圏”

1970年代半ばから1980年代初頭にかけての御茶の水には、現在より飲食店も少なく、チェーン店もほぼ存在せず、商業色は弱かった。そのぶん、街全体に文化的な空気が濃く滞留していた。都市としては未成熟、だが文化の発酵には最適な密度と速度があった。
後に20世紀後半の日本文化を形づくる表現者たちが育った背景には、こうしたまだ産業化されていない文化圏の存在があった。
「カルチャーが市場に回収される前の時間帯」
があり、そこに滞在する学生の行動が街に直接影響を与えていた。買う・消費するよりも、作る・学ぶ・表現する比率が高い街だったという点は重要だ。
現在の御茶の水は再開発と商業化が進み、当時の風景をすべて残しているわけではない。しかし、あの時代、あの場所には別の文化的エコシステムがあったという事実は、いま都市を語るうえで再評価されるべきである。
街の変遷は、若者文化が発生し、成熟し、制度化され、消費産業に吸収されていくプロセスそのものを示しているのだ。