御茶ノ水が「80年代初頭」まで原宿より断然イケてた理由――自由と集中が生んだ都市文化とは

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1970年代、御茶ノ水は“日本のカルチエ・ラタン”と呼ばれた。学生運動の熱が街を覆い、昼の文化が芽吹いた時代だ。1974年の女性大学進学率はわずか11.6%。それでも語学や芸術を学ぶ女性たちが街を彩り、原宿より早く“おしゃれの発酵”が始まっていた。昼に熟す都市文化の原点が、そこにあった。

女性進学率が示す時代の壁

男女別・18歳人口と大学進学率等の推移(画像:文部科学省)
男女別・18歳人口と大学進学率等の推移(画像:文部科学省)

 1974年時点の18歳人口は162万1728人。そのうち四年制大学に進学した割合は、

・男性:38.1%
・女性:11.6%

で、男女合計25.1%にとどまる。

・男性:59.7%
・女性:53.4%

という昨今(2022年時点データ)と比べると、数字の格差は大きい。隔世の感というより「別世界」という表現のほうが正確だろう。

 女性の大学進学率の低さは、教育制度の問題だけではなく、都市に滞在する若者のライフサイクルにも影響していた。大学4年という滞在期間が前提となる都市文化(下宿、学生街、サークル、夜間経済など)は、女性がそこに長期滞在することを前提として形成されていなかった。短大・専門学校を選ぶ女性が多数派だったからである。

「数年だけ働いて結婚する」
「家事手伝いとして縁談を待つ」

という進路が社会的に“自然”とされていた時代背景を考えれば、都市の側に女性を長期に受け止める構造はまだ形成されていなかったことがわかる。大都市に出て学び、働き、暮らし続けるという選択肢は、まだ一般化していなかった。

 それでも、御茶ノ水に集まった女性たちは、進学率では少数派だったにもかかわらず、文化的存在感は強かった。語学や芸術を学び、ファッションや表現に関心を持ち、消費よりも創作を先に置く姿勢を持っていた。数字が示す“少なさ”と、街に残された記録が示す“濃さ”が矛盾なく成立しているのが、御茶ノ水という街の特徴だった。

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