伊豆大島、三宅島、八丈島……「伊豆七島」なのに、なぜ実際は「九つ」あるのか?
東京に属する伊豆諸島・小笠原諸島は、首都圏から数百キロ離れた離島群だ。物流や定期航路、航空路線で東京と結ばれ、行政や経済活動を支える一方、島の数や名称は歴史と現実の隔たりを映す。
鳥島大噴火の惨事

伊豆諸島にはかつて、現在より多くの有人島があった。八丈島の近くにある八丈小島は1969(昭和44)年に集団離村が行われるまで人が住んでいた。また、利島と新島の間にある鵜渡根(うどね)島にも、明治時代には定住者がいたことが記録されている。
鳥島は天然記念物のアホウドリの生息地として知られるが、明治時代には羽毛採取を目的に多くの人が移住していた。しかし、1902(明治35)年に起こった大噴火で移住者たちは全滅した。助かったのは、噴火数日前に定期船で島を離れたひとりだけだったという。
この出来事は、島への移住や資源利用が自然環境の制約と密接に結びついていることを示している。物流や定期航路によって人や物資の移動が可能になっても、火山や海の荒れによるリスクは完全には制御できなかった。このように、島しょにおける生活や経済活動は、自然条件と密接に関わりながら成立していることがわかる。
こうした歴史を踏まえると、
・伊豆七島という呼称
・七島の数え方
が曖昧であることも、単に伝統や文献上の表現だけでなく、離島の環境や生活実態が反映されていることが理解できる。