乗降客は半減! 阪急大宮駅「特急通過」で揺れる25年――京都市は「地域振興対象外」の認識、地元の声は届くのか
阪急電鉄の拠点としてかつて、「京都駅」の名称がつけられていた大宮駅(京都市中京区)に特急が停車しなくなって四半世紀。地元は今も阪急電鉄に特急復活を求め続けている。
京都市にLRT整備など要望

大宮駅の乗降客が減少した背景には、
「地場産業の織物業や染色業の衰退」
が影響している。周辺で働く人の減少が乗降客数を減少させたわけだ。これにともない、都市銀行の支店が相次いで大宮駅周辺から消えている。
逆に、河原町駅周辺は阪急の終着駅が来たことで商業集積が一気に進んだ。1981(昭和56)年に京都市営地下鉄烏丸線が烏丸通の地下を走るようになると、烏丸駅が交通結節点の地位を高め、周囲のビジネス街が急成長する。同じ四条通沿いにありながら、明暗がくっきり分かれた格好だ。
地元の商業者らは署名を集め、阪急電鉄に特急復活を訴えた。前向きな回答を得られていないが、あきらめずに要望活動を続けている。その中心になっているのが、地元の商店と京福電鉄、四条大宮に「餃子の王将」1号店を出した王将フードサービスなど関係企業の計83団体・個人で組織する四条大宮商店街振興組合だ。振興組合の石田哲雄理事長は
「阪急に特急復活を訴えるだけでなく、大宮駅の乗降客を増やすため、大宮駅と接続するLRT(次世代路面電車)の開業やトロリーバスの復活を京都市に呼び掛けている。市の財政難で実現していないが、今後も要望を続けたい」
と意欲的に語る。京都市地域企業振興室は
「四条大宮は地域振興策の対象地域でない」
としているが、予算が許す範囲で必要な支援には応じる構え。近くには新選組が結成当初に屯所を置いた壬生寺など歴史的な名所もある。時代の波に翻弄されながら、生き残ってきた知恵を生かし、特急復活に向けてこれからどんな名案が出てくるのだろうか。