なぜ「なめ猫免許証」は1200万枚も売れたのか?――権威を遊びに変え、若者心理を掌握した社会現象を再考する

キーワード :
,
1981年、免許証を模したカードが1200万枚売れ、関連市場は推計1000億円に達した――学ラン姿の子猫が社会現象となった「なめ猫」ブームだ。暴走族を戯画化しつつ、移動の象徴を遊びへ転換した仕掛けは、制度と文化の摩擦を映し出し、モビリティが単なる交通機能から社会的記号へ変わる潮流を先取りしていた。

仕掛け人が描く猫革命

「なめ猫」~なめんなよ~公式ウェブサイト(画像:NAMENEKO JAPAN)
「なめ猫」~なめんなよ~公式ウェブサイト(画像:NAMENEKO JAPAN)

「なめ猫」を仕掛けたのは津田覚(さとる)氏だ。ブーム当時、津田氏はまだ31歳だった。名古屋生まれの津田は高校卒業後、会社員になったが肌に合わず退職。バンド活動や車のカメラマンを経て、名古屋で会社を設立した。

 転機は偶然訪れた。近所のクリーニング店主が段ボール箱に捨てようとしていた四匹の子猫を見つけ、津田氏は引き取って育てた。生まれたばかりの子猫だったため、しょうゆ差しでミルクを与える日々が続いたという。愛情をかけて育てた猫は順調に成長した。

 ある日、恋人が置き忘れた人形の服を猫が破いてしまった。津田氏はその服を猫に着せ、試しに写真を撮った。写真を見て「これはいける」と直感したという。こうして、「なめ猫」の原型が生まれた。

 なお、津田氏の実績は「なめ猫」だけにとどまらない。1970(昭和45)年にTOP Fashionを設立し、ポスターや写真集を手がける。1973年には

「スーパーカーブーム」

を仕掛け、フェラーリやランボルギーニを憧れのタレントのように演出し、1年後に社会現象へと押し上げた。1981年には前述の「なめ猫」を世に出し、写真集やカレンダーを発売。キャッチコピー「なめんなよ」とともに空前のヒットを記録し、商品化数は550種類に達した。人気は男女を問わず広がり、政府広報や企業広告にも採用された。

 その後も活躍は続く。1986年には東京音楽祭で銀賞を受賞し、CMソングや番組挿入歌を数多く提供。1988年にはダンスボーカルユニット「一世風靡セピア」をプロデュースし、デビュー曲を大ヒットに導いた。1992(平成4)年にはアニメ「Adventure of T-REX」を原作・原画として全米放送、世界各国にも広がった。さらにNHK「週刊こどもニュース」やフジテレビ「夕やけニャンニャン」など、テレビ番組の企画提案・制作にも携わり、多彩な分野で実績を積み重ねた。

全てのコメントを見る