なぜ「なめ猫免許証」は1200万枚も売れたのか?――権威を遊びに変え、若者心理を掌握した社会現象を再考する
仕掛け人が描く猫革命

「なめ猫」を仕掛けたのは津田覚(さとる)氏だ。ブーム当時、津田氏はまだ31歳だった。名古屋生まれの津田は高校卒業後、会社員になったが肌に合わず退職。バンド活動や車のカメラマンを経て、名古屋で会社を設立した。
転機は偶然訪れた。近所のクリーニング店主が段ボール箱に捨てようとしていた四匹の子猫を見つけ、津田氏は引き取って育てた。生まれたばかりの子猫だったため、しょうゆ差しでミルクを与える日々が続いたという。愛情をかけて育てた猫は順調に成長した。
ある日、恋人が置き忘れた人形の服を猫が破いてしまった。津田氏はその服を猫に着せ、試しに写真を撮った。写真を見て「これはいける」と直感したという。こうして、「なめ猫」の原型が生まれた。
なお、津田氏の実績は「なめ猫」だけにとどまらない。1970(昭和45)年にTOP Fashionを設立し、ポスターや写真集を手がける。1973年には
「スーパーカーブーム」
を仕掛け、フェラーリやランボルギーニを憧れのタレントのように演出し、1年後に社会現象へと押し上げた。1981年には前述の「なめ猫」を世に出し、写真集やカレンダーを発売。キャッチコピー「なめんなよ」とともに空前のヒットを記録し、商品化数は550種類に達した。人気は男女を問わず広がり、政府広報や企業広告にも採用された。
その後も活躍は続く。1986年には東京音楽祭で銀賞を受賞し、CMソングや番組挿入歌を数多く提供。1988年にはダンスボーカルユニット「一世風靡セピア」をプロデュースし、デビュー曲を大ヒットに導いた。1992(平成4)年にはアニメ「Adventure of T-REX」を原作・原画として全米放送、世界各国にも広がった。さらにNHK「週刊こどもニュース」やフジテレビ「夕やけニャンニャン」など、テレビ番組の企画提案・制作にも携わり、多彩な分野で実績を積み重ねた。