なぜ池袋は“ダサい街”から脱却できたのか?──1994年に変わった都市の「評価軸」とは

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池袋はかつて「ダサい街」と評されたが、その評価は時代の価値観に過ぎなかった。1994年以降の若者流入や多様な文化の融合、交通網の利便性が都市の魅力を底上げ。評価軸の変化と独自の空間性が融合し、多様性と包摂性を体現する東京の重要拠点へと復権を遂げた。

評価軸変化が導く都市革新

池袋(画像:写真AC)
池袋(画像:写真AC)

 いま池袋は“勝っている”と見る向きがある。しかし、それは過去に貼られたダサいという評価を否定した結果ではない。かつて都市空間に過剰に付与されていた印象の多くが、時代とともに価値の位相を変えたことが大きい。池袋がもともと持っていた雑多な店構えや人の出入りの多様さ、無署名的で誰でも受け入れる空間の在り方は、当初は「まとまりのなさ」や「野暮ったさ」として否定されていたが、後に「多様性」や「包摂性」と読み替えられた。

 この転換は、池袋側の努力だけによるものではない。都市評価を下す側の視点や価値判断の基準自体が変化したのだ。つまり、池袋が変わったというより、

「都市の見方」

そのものが変わったのである。評価の視座が可視性や記号性に偏っていた時代には、池袋のような領域は正当に扱われにくかった。しかし、都市において明確な輪郭より曖昧さや重なり、逸脱の余地が求められるようになると、池袋は遅れていたのではなく「先取りしていた」と解釈され始める。

 評価を下したのは誰か。当時の都市を論じたメディアや開発事業者、広告代理店など、語る力を持つプレイヤーたちである。彼らは空間に意味を与える過程で、明るく均質で用途が明確な都市を理想とした。その文脈から外れるものは劣った場所とされた。池袋が持つ複層性や無秩序性は、測定不能ゆえ市場の文脈に乗りにくかった。だが都市が必ずしも商品である必要がないと認識されると、池袋は本来の機能性を評価されるようになった。

 その意味で、池袋の復権は他都市との勝敗で測れない。競争という枠組みから自由になった時こそ、都市は本来の資質を発揮できる。都市は記号化された理想像に近づくことで価値を持つのではなく、人が移動し滞在し関係を編み直す場所として意味を持つ。その点で池袋は、評価軸の変化を見極めながら自身の特性を過度に捨てず更新してきた数少ない例だ。

 ただし、こうした経緯があっても、評価を下す主体が誰でどのように空間を規定しているかは、まだ十分に可視化されているとはいい難い。池袋がたまたま復権できたのは、

・特殊な地理や交通動線
・私鉄ネットワークとの関係

が奏功した面もある。ほかのダサいとされる都市が同様の転回を遂げられるかは、別の課題として残されている。

 都市が生き延びるとはイメージを上書きすることではない。既存の語られ方を、どれだけ更新可能なものとして捉え、必要に応じて書き換えていけるかにかかっている。池袋は今、東京の中でその書き換えが最も早く柔軟に進んだ都市のひとつである。

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