なぜ池袋は“ダサい街”から脱却できたのか?──1994年に変わった都市の「評価軸」とは

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池袋はかつて「ダサい街」と評されたが、その評価は時代の価値観に過ぎなかった。1994年以降の若者流入や多様な文化の融合、交通網の利便性が都市の魅力を底上げ。評価軸の変化と独自の空間性が融合し、多様性と包摂性を体現する東京の重要拠点へと復権を遂げた。

1990年の劇場開業効果

池袋(画像:写真AC)
池袋(画像:写真AC)

「このままではダサいまま終わる」。そうした危機感のもと、池袋の人々が頼ったのは、芸術だった。

 1990(平成2)年、東京都が長年計画していたクラシック対応の本格劇場「東京芸術劇場」が西口に完成。これは、街の格を変える象徴的施設だった。これを核とする形で、JR・東武が共同でメトロポリタンホテルやメトロポリタンプラザを建設。駅を中心に回遊できる都市としての再編が進められた。

 とはいえ、劇場とホテルだけでは都市全体の滞在時間は伸びにくい。そこで1990年代に立ち上がったのが

「池袋ルネッサンス構想」

である。かつて戦前には池袋にはアトリエ村文化が存在し、「池袋モンパルナス」と称された芸術の都だった。この記憶を現代に再生させるというもので、ベデストリアンデッキで駅を覆い、サンシャインから大塚駅までを一体化するような構想まで描かれた。

 だがこの計画は、バブルに沸きすぎた分だけ、現実との落差が大きく、実現には至らなかった。

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