なぜ池袋は“ダサい街”から脱却できたのか?──1994年に変わった都市の「評価軸」とは
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池袋はかつて「ダサい街」と評されたが、その評価は時代の価値観に過ぎなかった。1994年以降の若者流入や多様な文化の融合、交通網の利便性が都市の魅力を底上げ。評価軸の変化と独自の空間性が融合し、多様性と包摂性を体現する東京の重要拠点へと復権を遂げた。
池袋の庶民的な本質

バブル前夜の1980年代、池袋は格段に“ダサイ街”扱いされていた。当時の東京では、軽薄でネアカな価値観、いわゆる今でいう「ウェイ系」が正義とされていた。光るガラスのファサード、パステルカラーのファッション、そして消費こそが都市の魅力とされた。
池袋の本質は、今も昔もディープで気取らず、庶民的で自由な繁華街だ。しかし当時の東京では、雑多さや生活感は「遅れている」「洗練されていない」と見なされた。そのため、池袋の魅力は時代の“美意識”と噛み合わなかった。
新宿は都庁の移転(1991年)により「政治と行政の中心」としての権威を獲得した。渋谷は青山・原宿と一体化し、「若者文化の最前線」としての地位を固めていった。これに対し池袋は、特別な象徴を持たなかった。
「なんとなく雑然としている」
という曖昧なイメージを押し付けられていた。