なぜ池袋は“ダサい街”から脱却できたのか?──1994年に変わった都市の「評価軸」とは

キーワード :
池袋はかつて「ダサい街」と評されたが、その評価は時代の価値観に過ぎなかった。1994年以降の若者流入や多様な文化の融合、交通網の利便性が都市の魅力を底上げ。評価軸の変化と独自の空間性が融合し、多様性と包摂性を体現する東京の重要拠点へと復権を遂げた。

駅直結消費の終点化問題

池袋(画像:写真AC)
池袋(画像:写真AC)

 池袋の街づくりには、物理的なハンディもあった。街が「東」と「西」で大きく分断されていたのである。東口には西武百貨店と三越、そしてサンシャインシティ。西口には東武百貨店と丸井。これらは駅に直結しており、結果として「駅で完結する買い物」が主流となった。

 駅から外に出る必要がない。よって、人は街を歩かない。歩かないから、発見も、にぎわいも生まれない。街が「面」ではなく

「点」

で消費される状況が、都市としての体験価値を著しく下げた。

 さらに、郊外から流入する利用者の多くは、西武線・東武線といった私鉄沿線の住民である。彼らにとって池袋は終点であり、乗り換え地点であり、「目的地」ではなかった。通過するための街。滞留しない都市。

 このとどまらなさが、池袋の存在感を希薄にし、都市としての意味を問われる土壌を作っていた。

全てのコメントを見る