新車レビューが「単なる商品説明」に堕ちた理由とは? プレスリリース依存と「提灯記事」が読者のニーズに答えられない致命的欠陥
企業発の情報をなぞるだけの報道が、なぜ読者の信頼と興味を失わせたのか。EV一辺倒の論調、レビューの形骸化、SNS主導の断片化──「ニュースのようなもの」が溢れる構造的背景を分析し、自動車メディア再構築の可能性を探る。
提灯記事の蔓延と実態
多くのメディアは、企業のプレスリリースや広報資料を主要な情報源としている。それらの二次利用が、事実上の報道の主流となっているのが現状だ。現場での取材よりも、リリースや会見の書き起こしが記事の素材として優先されている。独自の視点や対立軸を欠いたまま、情報を流し続けるメディアも少なくない。
なかには、特定の権力者を持ち上げる記事を繰り返し掲載するメディアも存在する。こうした傾向に対しては、同社グループの元関係者と見られる人物からも過度な礼賛や報道の独立性の喪失を危惧する声がネット上に寄せられている。
企業が提供する情報への特権的なアクセスは、ごく一部のメディアに集中している。こうした構図は、実質的なバーター関係を生む土壌となっている。いわゆる
「提灯記事」
が生まれる背景には、こうしたアクセス依存型の編集方針がある。
特定のメディアに対しては、事前公開や独占コメントが与えられる。その見返りとして、企業側は好意的な報道を期待する。主従関係ともいえるこの構造のもとで、自動車メディアは企業情報をそのまま流す存在に堕している。
とくに電気自動車(EV)関連の報道では、この傾向が顕著だ。表向きは多くの報道が存在するように見えるが、実際の論調は均質で、異論や多様な視点はほとんど見られない。
さらに問題なのは、メディアが政策誘導に追従することである。EVがあたかも「唯一の正解」として扱われる構図が生まれつつある。異なる意見や批判的視点が排除され、読者が思考する余地を奪われるリスクが高まっている。