高田馬場駅前はなぜ「不法占拠」されたのか? 西武鉄道が50年以上「黙認」――そんな土地が排除される令和現実、違法性を超えた社会的実態とは
高田馬場駅前で「不法占拠」とされた店舗群が排除された。背景には、地価49.4%上昇や再開発計画、鉄道会社の資産戦略転換があると考えられる。だが、都市の隙間に宿った零細商業と市民の支持は、単なる違法性を超えた社会的実態を築いていた。
経済優先の都市政策変遷

昭和から平成初期の都市では、合法性よりも経済の流通性が優先されていた。新宿や渋谷の闇市では、不法占拠者を追い出すのではなく、権利を認めてビルや地下街のテナントに入居させる形で整理が進んだ。高田馬場駅前の不法占拠が長年放置されてきたのも同様の理由である。
この時代、自治体は法的厳格性よりも雇用創出と経済活動の継続を重視していた。典型例が銀座の三原橋地下街だ。1951(昭和26)年の開設時は観光案内所の設置を掲げていたが、実際には飲み屋やパチンコ屋が入居する又貸し状態が続いた。この違法状態は2014(平成26)年の閉鎖まで63年間も放置された。違法であっても地域経済への貢献が優先された実用主義的判断だったのである。
しかし、社会の変化が黙認構造を根本から変えた。西武鉄道の経営方針も変化した。多くの鉄道会社と同様、運賃収入よりも保有不動産の有効活用を経営の柱とする時代になった。前述のとおり、土地は単なる物理的空間から、収益最大化を目指す金融資産として再定義された。
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