高田馬場駅前はなぜ「不法占拠」されたのか? 西武鉄道が50年以上「黙認」――そんな土地が排除される令和現実、違法性を超えた社会的実態とは
戦後闇市の経済的役割

不法占拠とは、正当な権利や許可なく他人の土地や建物を占有・使用する行為を指す。法律上の所有者や管理者の承諾なしに無断で場所を占めることは違法である。そのため、不法占拠された建物や土地は、法的措置により撤去や明け渡しが求められるのが一般的だ。では、この不法占拠の容認はどのように形成されたのか。
太平洋戦争後の物資不足のなか、生活必需品や食料を供給するために、全国各地で「闇市」と呼ばれる非公式市場が自然発生的に生まれた。新宿駅東口の「新宿マーケット」はその代表例である。
1945年8月20日、的屋系暴力団の関東尾津組が新宿駅前の瓦礫地に市場を開設した。組長の尾津喜之助は、軍需工場の半製品を活用した商品の生産を促し、警察の一時利用許可を得て葦簀張りのバラック市場を築いた。新宿マーケットは東京の闇市の嚆矢となり、その後、新宿南口の和田マーケット(約400軒)、西口の民衆市場(約1600軒)、東口の野原マーケットなどが続々と誕生。これらは国電の主要駅を中心に全都に急速に広がった。
土地の所有権や契約による正規の許可はなかったが、終戦からわずか5日後に警察当局が営業許可を出している。当時、占拠の合法・不法は所有権ではなく、必要性に基づいて判断された。
高田馬場でも、資料は限られるが同様に不法占拠による闇市が存在していたと推察される。国会図書館所蔵の1985年発行文集『酒仙往来 : のんべえ大学の三十年』には、高田馬場駅前の飲み屋の常連客による記録がある。そこには、この飲み屋が
「高田馬場駅前の不法占拠した闇屋マーケット」
にあったと記されている。掲載された地図からは、現在の駅西口広場付近と推定される。都電が走っていた早稲田通りを挟み、闇市は広範囲に広がっていたことがうかがえる。こうした環境のなか、今回撤去対象となった土地は長期間にわたり存続してきた。