JR恵比寿駅で「ロシア語隠し」トラブル そもそも多言語表記はいつ始まったのか?
多言語表記が普及した理由
日本で外国人観光客に向けた多言語表記が普及したのは、2002(平成14)年のFIFAワールドカップがきっかけだ。全国各地のスタジアムが会場になったため、試合開催地で多言語表記の設置が進んだ。
例えばJR西日本では大阪・神戸両市の試合会場の駅などで英語・韓国語・中国語・フランス語などの案内を設置。加えて主要駅では、参加国に対応するためロシア語やスウェーデン語の通訳の配置も実施している(『読売新聞』2002年5月24日付大阪朝刊。
この後、2005年に外客誘致法(外国人観光旅客の来訪の促進等による国際観光の振興に関する法律)が改正され、政府が指定した公共交通機関の事業者に対して、英語の案内表示を義務付ける制度が施行された。これに加えて、外国人観光客が増加したことにより全国的に外国語の案内表示が増加した。
観光庁の調査でも明らかなように、英語はほぼ当たり前だが、地域の実情に併せて韓国語・中国語のほか、ロシア語やポルトガル語の表記が見られる地域も多い。
1990年代に高まった「ロシア語熱」
今回、不幸な形で話題になったロシア語の表記だが、東京都内ではあまり見かけられないものの、実は全国で設置している地域は多い。
中でも、北海道の各都市ではペレストロイカ(1985~1991年)以降、両国間の交流が拡大したことを受けて「ロシア語熱」が高まりを見せ、案内表示の掲示や施設へのロシア語話者が相次いだ。
『北海道新聞』1991年12月24日付朝刊には、次のように書かれている。
「北方領土の玄関口根室市では、ソ連からの来訪者のためにこのほど市役所庁舎内の配置図や表示板に英語とともにロシア語を併記した。さらに来年4月からは、ロシア語を話せる対ソ関係専門の職員を一人配属する。サハリン(樺太)との定期航路実現に力を入れている小樽市では、数年前からロシア語の観光パンフを作製。病気になった際に医師に病状を示す調査項目表がこの中にはさまれていて好評という」