日本に「戦車」は本当に必須なのか? 防衛省も認める削減方針に、なぜか「軍事オタク」が猛反発するワケ 海空優先vs感情論の衝突を考える
日本の戦車保有数は減少の一途をたどる。島国である日本にとって、戦車は死活的戦力ではないからだ。だが、一部の軍事オタクは「戦車不要論」への反発を繰り返す。彼らは抽象的思考を苦手とし、防衛政策全体の視点を欠いている。現実には、日本の安全保障力100パワーのうち、戦車の価値は0.1にも満たない。なぜ彼らは通用しない理屈を振りかざすのか――その背景を徹底検証する。
「それは不要論」の起源

「それは『戦車不要論』だ」は、いつから始まったのだろうか。
起源は1980年代である。鈴木善幸内閣以降の海空戦力優先論があり、そのなかで自民党幹部の「今どき戦車を持ち出す時代ではない」との発言や、それに基づく戦車削減の主張があった。それに対抗するための言説として登場した。
最初の形態は「侵攻のハードルを低くする」である。
「陸自の戦車がなければソ連の対日上陸侵攻は容易になる。苦労して重いT-72戦車を運ぶ必要がなくなる。PT-76のような軽戦車で済むからだ」
との理屈である。当時の陸自が考えたのだろう。
それをふたつの戦車趣味誌が反復した。ライターは「戦車軽視は誤っている、なぜなら」と、こすり尽くした。そうしないと読者は喜ばないし、自分が書いている戦車記事も価値を強調できない。
そして、ネットにおける論破と左派批判の風潮と一体化して「それは『戦車不要論』だ」は完成した。そういえば戦車削減は「論破」できる。さらに
「戦車削減は軍事を知らない左派の妄言である」
と斬り捨てられる。そう信じ込んだ結果、軍事オタクに膾炙(かいしゃ。広く知れわたること)したのである。