率直に言う EVアンチは単なる「中国嫌い」である
EV拒絶の裏に潜む「中国アレルギー」

EVを否定することは、ある意味で「中国に屈したくない」という感情の表れとも取れる。つまり、「EVは技術的に劣っている」ではなく、「EVが普及すると中国が有利になるから嫌だ」という潜在的な心理が、EV批判の根底に流れている可能性があるのだ。
これは決して新しい現象ではない。例えば、1990年代から2000年代にかけて、日本の家電業界は韓国・台湾メーカーの台頭に直面した。当時、日本では「韓国製の家電は品質が不安」「台湾の電子部品は低価格だが性能に疑問がある」といった声が一部で見られた。しかし、その後、サムスンはスマートフォンやディスプレイ市場で世界トップクラスのシェアを獲得し、TSMCは半導体製造の受託生産(ファウンドリ)分野で圧倒的な地位を築いた。
同様の現象は、1980年代の米国でも見られた。トヨタやホンダが市場に参入した当初、一部の消費者や業界関係者から「日本車は安全性に懸念がある」「品質が欧米車に劣る」といった指摘があった。しかし、オイルショックを契機に燃費性能が重視されるようになると、日本車の信頼性や経済性が評価され、市場での存在感を急速に高めた。現在では、日本車は耐久性と品質の高さで広く認知され、米国市場に不可欠な存在となっている。
こうした事例からもわかるように、新興メーカーや技術に対する当初の不信感が、時間の経過とともに評価の逆転をもたらすことは珍しくない。
日本の自動車業界がこれからEV市場でどのような戦略を取るかは、一つの大きな分岐点にある。しかし、「EVは不要」「EVなんて中国だけのものだ」といい続けているだけでは、やがて市場の流れに取り残される可能性が高い。
ここで重要なのは、かつて日本が西洋の技術を取り入れて独自の発展を遂げたように、徹底的にEVの技術を研究し、中国のEV産業を凌駕するほどの力をつけたうえで、「あえて別の道を選ぶ」という選択肢を持つことだ。
例えば、次世代バッテリー技術や、EVを前提とした新たなモビリティサービスの開発など、EVの流れを無視せず、それを飲み込む形で独自の優位性を築く道もある。あるいは、EVそのものではなく、水素や合成燃料などの別のアプローチを強化するという選択肢もあるだろう。しかし、そのどちらの道を選ぶにしても、「EVの時代が来ない」と目を背けるのではなく、「EV市場に正面から向き合ったうえで、別の道を選ぶ」という姿勢がなければ、単なる負け惜しみにしか見えなくなってしまう。
現実を見れば、世界の自動車市場は確実にEVへとシフトしている。規模こそ違えど、かつてスマートフォンがフィーチャーフォンを駆逐したように、EVの波を「一時のブーム」として捉えるのは危険だ。
しかし、その波を直視することなく、「EVなんて中国のものだ」と遠ざけるだけでは、やがて市場の変化に取り残されることになる。日本の自動車業界がこれまで培ってきた技術やブランド力を活かしながら、新しい時代に適応する道を見出すためには、まず「感情的なEV否定」を乗り越える必要がある。
EVの未来を論じる上で、本当に問うべきは「EVが良いか悪いか」ではなく、「日本はEVの時代にどう対応するのか」という視点ではないだろうか。
敢えていおう。大半のEV批判派は、単なる「中国嫌い」なのである。