自動車業界の救世主は「ココリコ遠藤」なのか? 1998年の伝説ギャグ「ほほほほーい!」が示す感情マーケティングの力! 理由なき熱狂こそが起爆剤だ

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日本の自動車産業は、技術革新に注力する一方で消費者との「感情的つながり」が欠如している現状に直面している。今後は、車が単なる移動手段に留まらず、個性やライフスタイルを表現するツールとしての価値を提供することが、業界の成長を左右するカギとなる。

理性重視で失われた情熱

自動車(画像:Pexels)
自動車(画像:Pexels)

 歴史を振り返ると、名車には必ず「感情を動かす魅力」が存在していた。

・ポルシェ911の「心に響くエンジン音」
・マツダロードスターの「走る楽しさ」
・フェラーリの「所有欲をかき立てるブランド力」

これらはどれも感情に訴える要素だ。

 しかし、近年の自動車産業では、かつて主流だった感情的な魅力が軽視され、実用性が重視されるようになっている。家族全員が乗れるか、荷物がどれだけ積めるかといった点が優先され、

・燃費の良さ
・高い安全性能
・進化した自動運転技術

といった合理的な価値が前面に出る一方で、感性に訴える要素は後退している。

かつては、燃費が悪く、荷物も積めず、運転が難しい……それでも、このデザインやエンジン音が素晴らしいから欲しいという感情が消費者の購買意欲を駆り立てていた。しかし、今では理性を超えたそのような感情が薄れつつある。

 先日、筆者が書棚を整理していると、偶然、男性向け週刊誌『平凡パンチ』(1980年4月28日号)が目に留まった。この号では、まだ発表前だった三菱ギャランのシグマとラムダ、そしてマツダのファミリアのモデルチェンジを「完全独占スクープ」として特集している。

 記事では、ギャランに新たに搭載されるディーゼルターボエンジンの性能について、ページの三分の二を費やして熱く語られている。「ディーゼルターボは90~95馬力」といった数値を見て、その意味をすぐに理解できた読者は当時も少なかっただろう。しかし、その記事からはクルマへの情熱がひしひしと伝わってきた。数値や利便性を説明するのではなく、開発者の熱い思いが読者の感情に直接訴えかけていたのだ。

 この『平凡パンチ』の記事が示すのは、かつての自動車産業が持っていた「感情を揺さぶる力」である。読者は具体的なスペックの意味を完全には理解していなかったかもしれないが、その背後にある技術革新や情熱には共感していた。今や、その「感情」が失われつつあり、その影響で産業全体も活力を失っているのではないか、と筆者は考える。

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