路面電車が変えた東京のグルメ! 銀座デパートに「お子様ランチ」が登場するようになった理由とは?
現在、食道楽というと外食店の食べ歩きがその活動の中心となっているが、19世紀(明治30年代)までは食道楽イコール「食べ歩き」というわけではなかった。明治時代末から食べ歩きが一般的となった背景には、ある交通機関の発達があった。
路面電車による食べ歩きの一般化

東京に路面電車が登場したのは、小説『食道楽』が発表された1903(明治36)年のことだ。その後、路面電車は急速に発展し、東京市を網のように覆うようになった。
初期の運賃は、どこまで乗っても3銭均一だった。当時のかけそばが2銭だったので、現在よりも少し高めではあったが、人力車よりも安く、運賃が明確だった(人力車は運賃の交渉が必要)。さらに、定時運行しており、気が向いたときにすぐに乗れるという点でも、当時としては画期的な交通手段だった。この路面電車の登場によって、人力車は次第に衰退していった。
路面電車が開通して2年後、1905年に小説『食道楽』のヒットに便乗する形で、雑誌『月刊食道楽』が創刊される。その創刊号には、牛めし(牛丼)や天ぷらなどの食べ歩きに関する記事が掲載されていた。
比率としてはまだ家庭料理の記事が多かったものの(今井美樹「料理雑誌からみた明治後期の食情報」『日本調理科学会誌35巻2号』所収)、外食店を食べ歩く記事も毎号掲載され、『月刊食道楽』の定番コンテンツとなっていった。
明治時代の『月刊食道楽』は1907年に廃刊となったが、1927年(昭和2年)には同じ名前で『月刊食道楽』が創刊される。この昭和時代の2代目『月刊食道楽』では、岡本一平の漫画「食道楽」など、外食店を食べ歩く記事が中心となる。
安くて便利な路面電車の登場により、食道楽という言葉の意味は、家庭料理から外食へと変化していった。