スポーツカーの楽しさ全開! マツダ「ユーノス・ロードスター」というライトウエイト復権の超立役者【連載】90’s ノスタルジア・オン・ホイールズ(15)

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1990年代は、バブル崩壊後も未来への夢と希望に満ち、国内の自動車産業も活況を呈していた。本連載では、当時のクルマ文化を探るとともに、興奮を読者に甦らせる。連載は今回で最終回となる。

ライトウエイトの復権

ユーノス・ロードスター(画像:マツダ)
ユーノス・ロードスター(画像:マツダ)

 1990年代は世界的にライトウエイトスポーツカーが復権した時代でもあった。そしてこのムーブメントが大きく拡大するきっかけとなったモデルは、日本が産んだその名も「ユーノス・ロードスター」だった。

 バブル経済全盛期の1989(平成元)年5月、ユーノス・ロードスターは、まず北米市場にマツダMX-5ミアータとして送り出された。日本国内での販売が開始されたのは同年9月。ギリギリ1980年代のデビューではあったものの、世界的には1990年型のイヤーモデルとして認識された。さらに国内販売を前に、その車名は当時のマツダの新しい販売チャンネルに合わせて、ユーノス・ロードスターと改められた。

 コンパクトな2シーター。ルーフはソフトトップのフルオープン。自然吸気の1.6リッターDOHC4気筒エンジンをフロントに縦置きに搭載し後輪を駆動するFR。サスペンションは4輪ダブルウィッシュボーン。そのメカニズムスペックに手抜かりはなかった。

 しかしデビュー直後のユーノス・ロードスターへの印象は余り芳しいものではなかった。そもそもこの時代、2シーター、オープンソフトトップ、FR、エンジンの排気量が2リッター以下といういわゆるライトウエイトスポーツカーはほぼ絶滅していた。

 なぜ今ここで復活なのか。その背景には1960年代の英国製スポーツカーを懐かしむ、当時のマツダの北米開発スタジオに勤務していたスタッフたちの雑談があったともいわれている。その結果、相応の将来性も期待できるとして、プロジェクトがスタートすることとなる。これは1985(昭和60)年頃のことといわれている。

 この古い英国製スポーツカーの復権を思わせるコンセプトは、その後日本や欧州の開発拠点も巻き込んで進行して行くこととなる。しかし、当初のライトウエイトスポーツカーの復活という基本コンセプトは不変だった。

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