「オスプレイ」とは結局何だったのか? 米軍以外の採用“陸自だけ”という辛らつ現実、26年生産終了で総括する

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屋久島での墜落死亡事故により、運用が一時停止されているV-22オスプレイだが、米国が同機の調達を終了する方針を固めたと報じられた。これによって、2026年に最終号機が納入された後、メーカーのオスプレイ生産ラインは閉鎖される。

ティルト・ローターの誕生

普天間基地とオスプレイ(画像:写真AC)
普天間基地とオスプレイ(画像:写真AC)

 第2次大戦後にヘリコプターが実用化され、自動安定制御技術が確立されると、米国の航空宇宙局(NASA)がXV-3、XV-15といったティルト・ローター実験機を開発し、実用化への道を探った。

 オスプレイの源流として言及されることの多いベルXV-15実験機は、1971年に始まったNASAと陸軍の共同プロジェクトで、1981年にはパリ・エアショーでもデモ飛行を行い、ティルト・ローター機の実用化が近いことをアピールして見せた。

 1983年になると、ベル社はパートナーシップを結んだボーイング社とともに、米国4軍に提供するJVXに、XV-15で技術を培ったティルト・ローター機を提案した。他に提案要求に応じた会社はなく、これが軍の採用案となったことが、V-22オスプレイ開発計画の始まりである。

 しかし、このオスプレイ構想に乗り気であった海兵隊とは異なり、陸軍は極めて消極的な態度を見せた。プレゼンテーションを受けた陸軍高官は、

「こんな太っちょの化け物に興味はない」

といい放ち、開発費用の負担を断ったという。当時陸軍はUH-60の導入を着々と進めているところだったから、リスクの大きいV-22に冷淡なのも当然といえば当然だった。

 オスプレイの開発難航は予想されたことでもあった。実験機XV-15の最大離陸重量が6tであるのに対し、オスプレイの重量は24tにも達する。機体重量が大きくなるほど、構造強度や空力性能の確保は難しくなり、設計の難易度は高い。実証された水準からの飛躍が大きければ、開発リスクが大きくなるのは当然である。

 ベル・ボーイングの設計者たちは、複合材構造や作動油の高圧化など、当時の航空機に導入されつつあった新技術を投入して乗り切ろうとしたが、ティルト・ローター機への適用には予想外の困難があったという。新しい機体形態に挑むということは、他機種の経験が簡単には適用できなくなるということだ。

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