隅田川で毎晩行われる「橋のライトアップ」 関東大震災からの復興が生み出した“未開拓の観光資産”をご存じか

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夜の隅田川には、花火大会当日だけでなく、毎晩行われる大きな魅力がある。しかし、もどかしいことに十分に生かされておらず、フルに体験できる日は限られている。

「橋の博物館」とも呼ばれる理由

永代橋。隅田川の水上バスより。2022年1月撮影(画像:内田宗治)
永代橋。隅田川の水上バスより。2022年1月撮影(画像:内田宗治)

 江戸時代、「蔵前」という地名が示すように、付近の河畔には大きな米蔵が立ち並んでいた。それにちなみ、現在の蔵前橋は稲穂をイメージした黄色系に塗られている。

 ライトアップは、光を下方から照らして橋を立体的に鮮やかな金色に浮かび上がらせるとともに、水面も橋の反射で輝くように計算されている。さざ波のたつ隅田川の水面が、まるで実った稲穂が輝きながら風に揺れる姿のように見えるという演出である。

 隅田川が「橋の博物館」とも呼ばれるゆえんは、ここに述べておこう。

 1923(大正12)年の関東大震災で東京の下町一帯は大火災に見舞われた。当時、隅田川には吾妻橋や永代橋など五つの鉄橋が架けられていた。地震の揺れで崩落することはなかったが、床が木造だったため、吾妻橋を含む四つの橋が火災に見舞われた。広範囲に広がった火災から避難してきた人々は橋に行く手を閉ざされ、付近でも多数の死者が出た。

 震災からの復興には、近代都市東京のシンボルとなるような土木構造物が求められた。隅田川の橋は、数々の犠牲者が出た場所に再建され、力強く生まれ変わる東京のシンボルとして、その理想的な姿と見なされた。

 震災後の復興ラッシュでは、例えばパリのセーヌ川の橋のように、すべて似たような構造にすれば、工期はずっと短くて済む。また、最も安価で鋼材の使用量も少なくて済むトラス橋で建設したなら、建設費は3分の1程度で済んだともいわれる。

 しかし、日本の橋梁技術を世界一流のものにしたいと考えた当時の技術者たちは、さまざまな最先端技術にチャレンジし、それぞれの橋のスタイルが異なるという道を選んだ。

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