内燃機関にこだわる「マツダ」 業績絶好調なワケ

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マツダは2023年5月、2022年度の通期決算を発表し、過去最高の売上高となった。これまでの同社の変遷を通して、その要因を分析する。

若き社長による改革

マツダの本社(画像:OpenStreetMap)
マツダの本社(画像:OpenStreetMap)

 マツダが21世紀に全社でスタートした、「Zoom-Zoom」というキャンペーンを覚えているだろうか。

 1999(平成11)年に社長に就任したフォード出身のマーク・フィールズ氏が、同社のセクショナリズムを打破するために開始したものだ。Zoom-Zoomとは、子どもが英語で自動車を表現する、日本語でいえば「ブーブー」といった擬音に近い。2000年に「トリビュート」の北米CMで使用されたのが最初で、その好調を受けて全世界に拡大した。

 これ以前に、フィールズ氏の指示で約3分の「マツダブランドエッセンスビデオ」が制作されており、内部上映として多用されていた。このビデオでも歴代のマツダのさまざまなクルマの走りの良さが中心となっている。

 その根本の考え方は、「運転そのものに憧れた子どものマインドと、大人になって忘れてしまったその心を取り戻す、そのためのクルマをマツダは提供すべきである」というシンプルな内容だ。

 BMWの「Freude am Fahren(駆け抜ける喜び)」に近いという意見もあると思うが、理性的かつプレミアム層を主なターゲットとするBMWに比べ、マツダはクルマ好きの「本能」へ、純粋に応えようとしている。

 わずか38歳でマツダの経営とブランド再構築というミッションを与えられたフィールズ氏の狙いは2002年発売の初代アテンザ(海外名Mazda 6)で花開いた。日本ではなかなか確立が難しかった「スポーツセダン」というジャンルのクルマで、スマッシュヒットを飛ばした。世界でも人気となり国内外で1年間に50もの賞を受けた。

 その功績もあってか、フィールズ氏は2002(平成14)年の6月にフォードに帰任。その後、フォードは2008年にリーマンショックの影響により、全てのマツダの株式を売却。マツダは経営を日本人体制に刷新し、再び独自の道を歩み始める。

 ブランドマネジメントという観点からいえば、経営陣が交代したにもかかわらず、Zoom-Zoomはその後もマツダのコミュニケーションの中心にあったことに注目すべきだろう。余談だが、広島球場も2009年から「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」として、名称の継続使用が決定されている(2024年まで)。

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