東京から160km! 伊豆諸島「新島」はなぜ“ナンパ島”と呼ばれたのか

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東京から約160km離れた伊豆諸島の新島は、昭和40年代から10万人を超える若者が夏季に押し寄せた「ナンパ島」として知られる。高度成長期の経済環境や情報希少性、家族・社会の寛容な価値観が背景にあり、現代とは大きく異なる若者文化を形成していた。こうした歴史は、変化する経済・社会構造の中での地域活性化の示唆を含んでいる。

恋愛時代を映す新島の熱狂

ディスコのイメージ(画像:写真AC)
ディスコのイメージ(画像:写真AC)

 戦後史を見ると、若者が政治に情熱を注いだ学生運動の時代は1970年代初頭で終わった。その後、数年の停滞期を経て1980年代に入り、恋愛が若者にとって最大の関心事となった。

 新島のブームを見ると、1970年代中盤にはすでに恋愛を重視する若者が現れていたことがわかる。彼らは竹芝桟橋を出発した時点で盛り上がっていた。

 当時の様子は『週刊サンケイ』1977(昭和42)年9月1日号に記録されている。若者が持ち込んだラジカセからは流行歌やロックが大音量で流れていた。船内の騒音は80デシベルを超えた。80デシベルは

・地下鉄や電車の車内
・ピアノの音

と同程度の大きさである。ポニーテールの若い女性が目立ち、ロマンチックなムードとはかけ離れた賑わいだった。

 出会いへの期待感と友人同士の旅行の気楽さ、船での一泊という非日常の興奮が重なり、若者たちは盛り上がっていた。迎える島も単なる鄙びた離島ではなかった。ディスコやビヤガーデンがあり、完全なリゾート地として機能していた。

 当時の新島の人口は約2500人(2025年8月時点では2364人)だったが、夏季には10万人の観光客が訪れた。これは夏の短期間に集中したもので、「混雑」という言葉だけでは表現できない賑わいだった。

 夜になると若者のテンションはさらに上がり、砂浜では自然発生的に花火が打ち上げられた。観光振興のためではなく、若者たちが勝手に始めたものだった。

 砂浜に続く道沿いにはディスコやビヤガーデンに加え、若者向けの店が軒を連ねていた。女性が歩くだけで頻繁に声をかけられる光景は、現代の日本では想像しにくいものだった。

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