超難所「青崩峠」に奇跡のトンネル完成! 中京経済圏、名古屋一強から三河港中心へ大変貌の序章か? 戦国武将も阻んだ壁を考える

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静岡と長野を結ぶ青崩峠トンネルは、地質的な壁を突破し、三遠南信道の開通を現実のものとした。これにより、三河港と信州地方が直結し、物流と経済の流れに大きな変革をもたらす可能性がある。新たな道路網の構築は、地域経済にどのような影響を与えるのか、未来を見据えた交通改革のカギとなる。

武田信玄が通った峠

青崩峠に続く道(画像:写真AC)
青崩峠に続く道(画像:写真AC)

 1573(元亀3)年1月、三方ヶ原の戦いが起きた。武田信玄の軍勢が、織田信長・徳川家康の連合軍と激突した合戦である。

 家康は迎え撃ったものの、信玄の戦術に翻弄されて敗北した。恐怖のあまり、脱糞して浜松城に逃げ帰った逸話は広く知られている。

 この戦いの直前、武田軍は南信地方から青崩峠を越えて進軍した。険しい山道を、槍や甲冑を身につけた兵が難なく越えたという記録が残る。信玄率いる軍の統率力と機動力は、当時としても突出していた。峠には、信玄が腰掛けたとされる岩が今も残る。

 それから約300年後、明治時代にドイツ人地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが「中央構造線」の概念を提唱した。房総半島の付け根から関東、中部・東海、四国、九州まで続く巨大断層の存在に気づいたのである。

 ナウマンは、ナウマン象の発見者としても知られる。一方で、滞在中に妻の不倫相手を殴打するなど、私生活は波乱に満ちていた。それでも、日本地質学の発展に与えた影響は極めて大きい。ナウマンの研究成果は、現在の道路建設にも応用されている。

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