スポーツカーを滅ぼすのは「EV」なのか? スカイライン、ロードスター、GR86…失われる五感と一体感! 無音の時代に“クルマ魂”は蘇るか
進化する自動車技術の中で、かつての「操る喜び」が失われつつある。電動化や運転支援が進む一方、スポーツカーの本質である五感を通じた走行体験はどこへ向かうのか。EVの静寂と加速力がもたらす新たな課題と、心を揺さぶる走りの再発見が今、求められている。
EV時代に問う魂の所在

スポーツカーは、数値やスペックを競うだけの存在ではない。0~100km/h加速や最高出力といった指標も重要だが、それだけでは測れない価値がある。操る喜び、感性との対話、身体で感じる一体感。そこには、速さや出力を超えたところにしかない快感がある。言葉ではいい尽くせない領域だ。
スペックの優劣では語れない手触りや共鳴感がある。それを求める者にとって、量産性や効率性とはまったく異なる軸で価値が生まれている。
EVや自動運転が一般化するなかで、操る喜びを残すクルマを作り続けることは、単なる商品開発ではない。メーカーが「自分たちは何者か」「何を信じているのか」を世に問い直す行為である。むしろ文化的で哲学的な態度に近い。
2021年、日本経済新聞が「スカイライン、開発に幕」と報じたとき、日産は即座に反応した。国内部門執行役副社長(当時)の星野朝子氏は、新型ノート オーラの発表会でこう語った。
「そのような意思決定をした事実は一切ございません。日産自動車は決してスカイラインをあきらめません」
スカイラインは、日産の走りの矜持」を体現するモデルであると同時に、スポーツセダンという文化の継承者でもある。セダン市場が縮小し、販売台数が減少しても、その名前を残すことには意味がある。
一方、「スカイラインをあきらめない」という言葉をどう解釈するかをめぐり、議論も巻き起こった。スポーツモデルであってもEV化は避けられない。セダンが売れない時代にあって、かつてのスカイラインの姿を保てるのかという懸念は根強い。
今、音も匂いも、操作感も消えつつあるクルマに魂は宿るのか。その問いへの答えは、まだ定まっていない。