EVで「暴走族」はおかしい? エコなのか迷惑なのかどっちやねん! 新時代の反逆行為とその矛盾を考える
EVの普及が進むなか、静かな加速を見せるEV暴走族が現れる可能性が浮上している。エコで持続可能な移動手段であるEVが、反社会的行動の象徴となる矛盾に直面するなか、移動の自由と社会的責任のバランスをどう取るべきかが問われる。技術進化と倫理の交差点に立つEV時代を生きるための「走り方」とは。
デジタル空間が変える走行文化

ここで重要なのは、EVを移動手段として「目的」として捉えるのか、それとも「手段」として活用するのかという視点だ。
暴走行為そのものが目的化される場合、移動手段は何であれ迷惑行為と見なされる。かつてのガソリンバイクであれ、現代のEVであれ、その本質に変わりはない。
一方で、EVを「手段」として使う場合、その役割は多様化する。通勤・通学、物流、観光、そしてスポーツ走行など、走る目的が明確であり、周囲と調和する形で使用されれば、EVはその本来の価値を発揮する。
EV暴走族の存在は、この「手段と目的の混同」を象徴しているともいえるだろう。
では、こうした新世代の走行文化は今後どう変化するのだろうか。
ひとつの可能性として、デジタル空間への移行が挙げられる。既にeスポーツとしてのレーシングシミュレーターが人気を集めており、実車での危険行為を伴わずに「走り」を楽しむ文化が広がっている。
また、EVメーカーも「走りの楽しさ」と「社会的責任」の両立を目指した取り組みを進めている。例えば、車両に搭載されたデータ通信機能を活用し、迷惑行為を抑制する仕組みや、走行履歴を可視化して安全運転を促進する技術が開発されている。
さらに、都市部では「EV専用の走行エリア」を設け、夜間走行を制限するような法規制が今後検討されるかもしれない。