EVで「暴走族」はおかしい? エコなのか迷惑なのかどっちやねん! 新時代の反逆行為とその矛盾を考える

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EVの普及が進むなか、静かな加速を見せるEV暴走族が現れる可能性が浮上している。エコで持続可能な移動手段であるEVが、反社会的行動の象徴となる矛盾に直面するなか、移動の自由と社会的責任のバランスをどう取るべきかが問われる。技術進化と倫理の交差点に立つEV時代を生きるための「走り方」とは。

技術革新と反社会的行動の矛盾

EV(画像:Pexels)
EV(画像:Pexels)

 EVで暴走する若者たちは、何を求め、何を訴えているのか。彼らの行動を単なる迷惑行為と片付けることは簡単だが、その背後には、時代に適応した新しい「主張の形」が見え隠れする。

 まず、彼らがEVを選ぶ理由は、経済的合理性と技術的進化に基づいている。ガソリン代が高騰するなか、電気で走るEVはコストパフォーマンスに優れ、夜間電力を活用すれば、1回の充電で数百円程度の負担で済むことも少なくない。さらに、EVはエンジンを持たず、オイル交換や複雑な整備が不要で、長期的な維持費も抑えられる。モーター駆動による即応性は、かつての2ストロークエンジンを彷彿とさせる俊敏さを持っている。

 また、SNS世代である彼らにとって、アピールの舞台は街頭だけではなく、スマートフォンの画面上にも広がっている。改造EVで静かに集団走行する映像は、YouTubeやTikTokで「未来的な反抗スタイル」として拡散される。

 しかし、この新たなスタイルが社会的な受容を得られるかは別問題だ。EV暴走族が抱える最大のジレンマは、彼らが利用するモビリティ自体が「環境に優しい」存在でありながら、その行動が周囲に迷惑をかける点にある。

 EVは走行中にCO2を排出せず、都市部の騒音公害も抑制できる「持続可能な移動手段」として普及が進められている。各国政府もEV化を促進し、自動車メーカーは競って新型車を投入している。にもかかわらず、深夜の住宅街を集団で走行すれば、音は静かでも視覚的な威圧感や交通の妨げになることは避けられない。騒音がなくても「迷惑」であることに変わりはない。

 ここで浮かび上がるのは、「何をもってエコとするか」という問いだ。EVは環境に優しい存在だが、それを操る人間の行動次第で「エコ」は簡単に損なわれる。静粛性や低排出という技術的特性があっても、社会的文脈の中で不快感を与える行為は、結果として「持続可能性」に反することになる。

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