羽田空港の医師暴行事件! 「医師 = 高い倫理観」はもはや幻想? 先日は“解剖現場ピース写真騒動”の現実、その深層を考察する
「医師」としての本質

羽田空港で飛行機に乗り遅れた男性医師が、「アナウンスがない」と職員に暴言を吐き、暴行を加えたとして警視庁に逮捕された。1月15日に各メディアが報じた。58歳の男性医師は13日夜、羽田空港の搭乗口で、ANAの女性職員に複数回平手打ちをし、全治1週間の怪我を負わせた疑いがある。
このニュースのコメント欄を見ていると、多くの人が
「医師なのにそんな愚かな行動を取るなんて」
といったような驚きや非難の声を上げていた。しかし、
「医師だからこそ」
「医師なのに」
といった視点で語ること自体が、医療制度や社会のあり方についての深刻な誤解を招いているのではないか。
この事件を通じて、「医師」という職業の本質や、その背後にある選抜や教育の仕組みについて考える必要がある。
「医師 = 高い倫理観」という幻想

医師は命を預かる職業であり、患者の信頼を得ることが不可欠だ。そのため、
「医師は高い倫理観を持ち、人間性に優れている」
というイメージが根強く存在する。しかし、現実とは必ずしも一致していない。
医師になるための過程は非常に厳しく、医学部への進学は国内でも最難関とされている。高度な知識やスキルが求められるため、学力や試験成績が最優先されるのは当然のことだ。しかし、この過程で
・人間性
・倫理観
が十分に評価されることは少ない。医学部の入試では、偏差値や記憶力が重要視される。さらに、合格後も多忙な学業や実習が続き、患者と向き合う姿勢や医療倫理を深く考える時間は限られている。その結果、
「学力で選抜された医師が生まれる」
という現状の医療教育の構造は否定できない。
先日も、沖縄の美容外科医院の女性院長が、解剖前の室内を撮影した写真にモザイクをかけ、「頭部がたくさん並んでるよ」と笑顔の絵文字を添えて、ピース姿でSNSに投稿し、批判が殺到したばかりだ。