“AIひき逃げ”が多発? クルマの自動運転化が導く“無責任社会”という名の未来
自動運転のリスク

人間は、自分が原因となるリスクよりも
「他人が原因となるリスク」
を厳しく評価する。日本国内での「人間1億kmの移動あたり死者数」を統計から見ると、鉄道は0.002人(踏切事故や故意の行為を除く)、航空機は0.07人に対して、自動車は
「2.5人」
という桁違いの差がある。鉄道や航空機の事故はメディアで大きく取り上げられるのに、それと桁違いに多くの被害を生じている自動車は社会的に受容されている。鉄道や航空機が他人の運転に依存するのに対して、自動車は自分で運転しているという理由が大きい。
高レベルの自動運転とは、他人すなわちAIの運転に任せることである。前述のテスラ社の例のように、自動運転に任せていたら中央分離帯に衝突したなどという事故が社会的に容認されるだろうか。鉄道なみとまではいわないまでも、リスクを桁違いに低減する必要がある。
「クルマ」の概念を捨てられるか

2024年5月19日に河野デジタル行財政改革担当大臣は、北海道上士幌町で自動運転バスを視察した。同町では自動運転の路線バスの定期運行が始まっており、将来は完全自動運転を目指しているが、現在(2024年5月)は添乗員が同乗している。
「雪を障害物と認識して止まってしまう」
などまだ課題がある。走行速度は時速20kmに抑えられている。
またヤマト運輸では宅配トラックの自動運転を試行し、それ自体は利用者から好評で成功と評価されている。ただし添乗員が同乗しない無人モードでの走行速度は時速5~10kmに抑えられている。
センサーや制御システムがいかに進歩しても、歩行者や自転車と混在する環境ではそれが限度だが、人間が乗車しない物流の末端部分だけならば走行速度は大きな問題ではない。外見は「自動車」だが機能は
「台車」
である。こうしたバスや宅配車の自動運転は可能性が見えつつあるが、人々の日常的な移動に自動運転車を導入するには、いまの「クルマ」の概念を根底から変えざるをえない。しかしそれはおそらく
「不可能」
ではないか。技術の進歩にかかわらず、それこそが自動運転の最大のハードルである。