お葬式最大の謎? 霊柩車に「ド派手な装飾」が乗っていた理由
遺体を運ぶ霊柩(きゅう)車が、一般貨物自動車運送事業であることは意外と知られていない。また自動車と神輿の山車(だし)がなぜ合体しているのか。
自動車への抵抗から生まれた宮型

自動車で遺体を運ぶなどとは罰当たりな、という気風はあった。遺体は「人」の手によって運ぶべきという意識はまだ根強かった。自動車等という文明の利器を使うとは何事か、というわけだ。大事な話をメールで済ますとは何事か、という考えと似ている。
この罪の意識を、人々は自動車を宮型とすることで和らげようとした。かつての輿の意匠を取り入れ、地域ごとの文化や思想を反映させた。
「遺体は自動車で運ぶ貨物ではない」
霊柩車が生まれてから現代まで、抵抗は強い。かといって、交通事情と社会環境が許さない。折衷案としての、宮型霊柩車の誕生だったのではないかと思われる。
しかしこの抵抗も、霊柩車が普及するにつれて薄れていく。自動車で運ぶという抵抗が薄れ、自動車に多少の意匠をほどこしたスマートな霊柩車が増え始めた。その代わり、宮型霊柩車そのものに対する抵抗が強くなり、その姿は徐々に地域から消えていった。
葬儀場から火葬場まで距離が遠くなり、霊柩車での移動距離もおのずと長くなる。さらに、元来人里離れた場所にあった火葬場だが、火葬場近くにも町ができ、道路がつながる。周辺住民は毎日のように霊柩車を見ることになり、
「宮型霊柩車は縁起が悪い」
と苦情が増えてきた。宮型霊柩車を条例で禁止する市町村や地域も少なくない。都市型の生活が、霊柩車への意識を変えたのだ。
昭和天皇の大喪の礼でも、宮型でもバス型でもなく、宮内庁特性のひつぎが入るように改造された黒い自動車で、洋型霊柩車が使用された。