戦国屈指の名将・上杉謙信 「義」に満ちた男は物流マンとしても一流だった!

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戦国武将の中で「最強」ともいわれる上杉謙信。その優れた手腕は合戦以外の場でも生かされた。謙信の「物流政策」に注目してみる。

「敵に塩を送る」真偽は?

上杉謙信(右)と武田信玄の像(画像:Merkmal編集部)
上杉謙信(右)と武田信玄の像(画像:Merkmal編集部)

 上杉謙信というと、「敵に塩を送る」のことわざも有名であるが、今回の謙信の物流政策と絡めて、最後に、このことわざの意味するところを考えてみたい。

 謙信は武田信玄と川中島で5回も戦い、まさにライバル、宿敵である。その宿敵信玄が、駿河の今川氏真、相模の北条氏康と手を切ったとき、怒った氏真・氏康が駿河湾産・相模湾産の塩をストップした。「塩留」である。武田領の甲斐・信濃には海がなく、信玄は塩に困った。その様子をみた謙信が、「敵ではあるが、困っている信玄を助けるため塩を送ろう」と、塩を送ったというのである。謙信を「義の人」とたたえるエピソードの一つともなっている。

 筆者(小和田哲男、歴史学者)が疑問に思ったのは、戦い合っている相手が困っているのを見て、本当に援助の手を差し伸べるようなことがあったのだろうか、という点である。謙信の物流政策を見ていくと、どうしても「金もうけがうまい謙信」というイメージが先にくる。

 そうなると、謙信は、「いま武田領に塩が入ってこない。日本海産の塩を売りにいけば、よく売れるのではないか」と考えて当然ではないだろうか。「いまがビジネスチャンスだ」と、越後の商人たちを甲斐・信濃に送りこんだのではないかと筆者は考える。

 戦上手であったり、「義の人」であったりするだけで生き残れるほど、戦国の世は甘くないし、それは現代にも通じることだろう。謙信の経済力とそれを築いた手腕も、注目に値するのである。

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