1970年代の北米レースを制覇! 最強の日本車「BRE ダッツン240Z」をご存じか

キーワード :
, , ,
日本で生まれ、アメリカの地で活躍したレースカー「チームBRE ダッツン240Z」と、エースドライバー、ジョン・モートンの輝かしい足跡を紹介する。

レースの好成績が市場評価に

BRE240Z(画像:守山進)
BRE240Z(画像:守山進)

 日本で生まれ、海を渡ったアメリカの地で活躍したレースカーというと、何といっても「チームBRE」の「ダッツン」(日本での読みは「ダットサン」)がよく知られた存在である。その初期にはSRL311(フェアレディ2000)、そしてその後継というべきHLS30(フェアレディZ)、そしてPL510(ブルーバード)。いずれもSCCA(スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカ)が主催するプロダクション&セダンレースにおいて、一つの時代をつくった名車たちだった。

 BREことブロック・レーシング・エンタープライゼスは、1966年にカーデザイナーのピート・ブロックによって設立された。BREはその戦略として、当時はまだ市場での評価が決して高くはなかった日本車をベースに、レーシングビジネスを展開することを決定していた。これは、BREの創設スタッフだったロバート・ダンハムと日本側との間に深いパイプがあったことも理由である。

 BREはまずダンハムのコネクションで、日野コンテッサをレースカーに選択した。後にピート・ブロックは日本の日野ワークスと共に「チーム・サムライ」を結成し、「サムライ・プロト」と呼ばれた美しいプロトタイプレースカーをデザインすることとなるのだが、それはまた別の物語である。その後BREは日野が乗用車ビジネスから撤退したことを受けて、1968年から新たなパートナーとして日産自動車を選択することとなった。

 ここでは、既にアメリカ国内でもリーズナブルかつパフォーマンスに優れたスポーツカーとして人気が高まりつつあったSPL311ことフェアレディ1600を、北米日産のスポンサードと共にSCCA プロダクションに送り込んだ。当時のSCCAプロダクションこそは、北米におけるスポーツカー販売において極めて大きな影響力を持っていたカテゴリーであり、ここで好成績を収め、その名声を高めることは、すなわち市販車の販売成績が向上することを意味していた。

全てのコメントを見る