「海抜0m」「蛇行道路」に挑んだ東西線! 都心~千葉を結ぶ首都圏通勤輸送の大動脈誕生、その軌跡とは
東京メトロ東西線は、1964年の開業以来、千葉県西船橋まで都心とベッドタウンを直結し、延べ3年余りに及ぶ難工事や隅田川トンネル突破を経て、首都圏通勤輸送の大動脈として地域開発と沿線価値を押し上げてきた。
隅田川トンネルの挑戦

東西線工事で最も困難を極めたのは、茅場町より東、主に江東区を通る区間である。茅場町駅から東へ進むと、まず隅田川という関門が立ちはだかる。ここを越える方法として、橋を建設する案や地下を掘る案などが検討され、最終的には永代通りから永代橋下流側を地下でくぐることになった。
さらに難所となったのが、江東区の海抜0m地帯である。霊岸島から永代橋付近までは、トンネルに勾配をつけ、峠の頂点に防水扉を設置した。これは江東区で水害が発生した際、地下鉄内の水がトンネルを通って都心に流れ込まないようにするためで、営団が初めて導入したものである。
当時の江東区は水害の危険があり、地盤は変形しやすいシルト層が厚く軟弱であった。加えて、複数の小河川を通過する必要もあり、難工事が予想された。さらに木場駅周辺は材木の集積地点で、運搬船が小河川を頻繁に行き来していたため、工事で船運を止めることもできなかった。
もし開削工法を採用する場合は、両側に鉄くいを打ち込み、その上にH型の鉄桁をかけて鉄板を敷き、路面交通に支障がないようにした上で地上から掘り進む必要があった。水害や交通への影響にも配慮しなければならず、施工は非常に難しいものとなった。