SNSで暴言を繰り返す「鉄道オタク」が、人間より「bot」に近い根本理由
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SNS上での鉄道議論は、しばしば暴言や感情的な対立を生む。専門知識の誤りを指摘する声が続くなか、その背景には不安や自己証明の欲求が隠れている。鉄道オタクたちの言葉の自動化が社会的影響を与え、文化として広がる現状に迫る。
知識から体験への脱却

では、こうした「言葉の自動機械」から抜け出すにはどうすればよいのか。そのカギは、語ることから「体験すること」へのシフトにある。鉄道オタクの本来の楽しみは、
・鉄道に乗る
・駅に降り立つ
・車窓を眺める
・移動そのものを味わう
ことだったはずだろう。しかし、SNS上での発言が主たる活動になってしまうと、鉄道を語ることが目的化し、実際の移動体験が軽視されてしまう。
実際に鉄道に乗り、知らない街を訪れ、偶然の出会いを楽しむ――こうした体験は、「正しさ」の競争とは無縁の世界にある。そこでは、誰が何を知っているかは重要ではなく、ただ「その場にいること」そのものが価値となる。宮台氏は、「言葉の自動機械」から脱却するためには、
・言外(言葉の外)
・法外(法の外)
・損得外(利害関係の外)
に出ることが必要だと指摘する。言い換えれば、他者の評価から離れ、ただ自分が心から楽しいと思えることに向かうことが、機械化を防ぐ唯一の手段なのだ。
SNSで暴言を繰り返す一部の鉄道オタクたちは、語ることをやめて体験することに戻れば、「bot」から脱せられるかもしれない。そうしなければ、これからも
「カワイソーな存在」(宮台氏の前述ツイートより)
のままで、常識ある大多数の穏健派オタクにも白眼視され、憐憫の対象として認識され続けるだろう。