「昔のクルマは血の匂いがした」って本当? いまや運転ヘタでも問題なし、かつては個人の技量が全てだった!
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「昔のクルマは血の匂いがしていた」――これは単なるノスタルジーではなく、技術進化がもたらした「運転の選別機能の喪失」を示唆する言葉だ。電子制御が未発達だった時代、運転は技量と覚悟をともなう行為であり、不適格者は自然と淘汰された。しかし現代では、自動制御の普及により誰もが運転可能となり、過信や油断が事故の要因となっている。完全自動運転が現実味を帯びる今、「運転する資格」の再定義が求められているのではないか。
電子制御なしの時代、運転技量の試練

当媒体が以前配信した記事「「MT免許」4月法改正で存亡危機? 多くの若者が「AT限定」選ぶ現代、MT車の意味とは? 価値とは?」(2025年2月4日配信)に、興味深いコメントが寄せられていた。
「昔のクルマは血の匂いがしていた」
実に印象的なフレーズだ。これは単なるノスタルジーではなく、ある種の「覚悟」と「選別」をともなう時代の証言ともいえる。
かつて、クルマの走行性能や安全性は、運転者の技量に大きく依存していた。アクセルを踏めば機械式スロットルが開くだけで、電子制御は一切介在しない。変速機は手動、クラッチ操作を誤ればエンストを起こし、発進すらできなかった。ブレーキにもABSはなく、ロックすればそのままスリップ。下り坂ではフェードやベーパーロックのリスクを抱え、制動力を失うこともあった。
こうした特性ゆえに、運転には高い集中力と判断力が求められた。技量が未熟な者には扱えず、無理をすれば事故に直結する。クルマは
「運転する覚悟のある者」
だけが手にする道具であり、それができない者は自然と淘汰される時代だった。
「血の匂い」という表現は、単に危険性を指すものではない。むしろ、クルマと人の間にあった厳格な関係性――「生死を左右する機械を扱っている」という緊張感を示す言葉として捉えるべきだろう。