「誰も私を知らない。」 1991年夏「青春18きっぷ 」のキャッチコピーが、今も感動を呼ぶ理由! ひとつのメッセージが映し出した時代の転換点とは
1991年、バブル経済崩壊後の若者たちが自己発見と自由を求めて旅に出た時、「誰も私を知らない。」というコピーが生まれた。このキャッチコピーは、社会の変化や不確実な未来への不安と希望を捉え、現代にも響き続ける普遍的なメッセージを持つ。
バブル崩壊と価値観の変容

1991(平成3)年の夏、JR東日本は「誰も私を知らない。」という青春18きっぷのコピーを掲げた。このシンプルな一文には、バブル経済の終焉と新しい時代の到来を感じさせる深い意味が込められている。このコピーが生まれた背景について考察してみたい。
当時を理解するためには、その直前までの日本の状況を振り返る必要がある。1980年代後半、日本はバブル経済の絶頂期にあった。1989年12月29日、日経平均株価は史上最高値の3万8915円87銭(終値)を記録。不動産価格は高騰を続け、「土地神話」は揺るぎないものと考えられていた。
しかし、1990年に入ると状況が一変する。日経平均株価は急落を始め、1990年10月1日には2万221円86銭まで下落。わずか9か月で約48%も暴落した。不動産価格も下落に転じ、バブル経済の崩壊が現実のものとなっていった。
この時期、若者たちの価値観も大きく変化していた。1980年代を象徴する
・金余り
・派手な消費
・ブランド志向
といった価値観は、徐々に色あせ始めていた。代わりに台頭してきたのは、より個人的で内省的な価値観だった。