ホンダはなぜ4輪市場参入に「小排気量スポーツカー」を選んだのか? 開発史にみる不屈の矜持とは

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日本を代表する自動車メーカーのひとつ、ホンダ。モーターサイクルメーカーから4輪メーカーへの転身を本格的に決心したのは1961年頃という。処女作として着手したのは、世界にも例のない精密な小排気量スポーツカーだった。

4輪メーカーへの転身、60年代頃に決心

ホンダS500(画像:矢吹明紀)
ホンダS500(画像:矢吹明紀)

 ホンダが4輪車市場への本格的な参入を決心したとき、その処女作となるべく開発に着手されたのは、世界にも例のない精密な小排気量スポーツカーだった。そこには、モーターサイクルメーカーとして日本で初めて国際競争力を身に付けたホンダの矜持(きょうじ)が見てとれた。

 ホンダが4輪メーカーへの転身を図ろうと本格的に決心したのは、モーターサイクルメーカーとしてロードレース世界GPでもその名を知られると同時に、市販スポーツモデルにおいても国際競争力を身に付け始めた1961(昭和36)年頃のことと言われている。

 もちろん、将来への展望という意味を込め、基礎研究は1958年頃から開始していたというが、ここで研究されていたのは残らず何の変哲もないローコストな軽自動車であった。

 ホンダが自身の4輪の処女作を、軽規格の純粋なスポーツカーでいくと決心した背景には、何よりも他社の後を追うのではなく市場をリードすべく、現状には存在しないモデルを送り込むというホンダならではの攻めの戦略があった。

 これは要するに、当時の日本の自動車メーカーにはスポーツカーという分野が存在せず、たとえ業界内での熾烈(しれつ)な戦いでもライバルが存在しないスポーツカーであれば、新規参入者のホンダが持っていた2輪のディーラー網だけで何とか遜色(そんしょく)のない販売戦略が可能であるに違いないという作戦である。

 ただし、スポーツカーのみではあまりにも無謀だったことから、営業サイドからの強い要求によって、実用性を重視した軽トラックの投入も決定されたと言われている。