ホンダはなぜ4輪市場参入に「小排気量スポーツカー」を選んだのか? 開発史にみる不屈の矜持とは

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日本を代表する自動車メーカーのひとつ、ホンダ。モーターサイクルメーカーから4輪メーカーへの転身を本格的に決心したのは1961年頃という。処女作として着手したのは、世界にも例のない精密な小排気量スポーツカーだった。

世界を舞台に“夢”を与えたスポーツカー

 さらに、初期型S800まで採用されていたトレーリングアーム&チェーン駆動リアサスペンションに至っては、モーターサイクルのイメージを盛り込むために本田宗一郎が強硬に主張したため採用を余儀なくされたものだった。

 しかし、タイムラグを伴うチェーン特有のトリッキーな動きと、アルミ製チェーンケースの強度不足問題などで、ほとんど良いところがなかったと言われている。

 S500からS800に至る時代のホンダは、技術に対する美学というべき価値観が会社全体に貫かれていたことは間違いない。

 ただし、理想を追求する技術偏重が生み出した、絶え間ない仕様変更によるリペアパーツ供給の滞りと意味のない細部へのこだわりは、明らかにホンダとそのユーザーにとってマイナスに作用した。

 前述のチェーン駆動も、アメリカでは信頼性の欠如が災いして採用に踏み切れず、リジッドに改めたのは本田宗一郎を説得してのことと言われている。

 ともあれ、ホンダS500/600/800は、日本はもとより世界を舞台に、オーナーに対して夢を与えるスポーツカーとして普遍的な価値を手に入れることに成功した。

 モーターサイクル並の排気量しかないにもかかわらず、「高回転」を武器に限られたパワーを絞り出して走ることの楽しさを、世界中のスポーツカーマニアに再確認させた。

 このことは「エスの系譜」が導き出した最大の功であり、小排気量車に慣れたていたユーザーが多かったヨーロッパはもとより、大排気量車が大手を振っていたアメリカにおいても熱狂的なファンを獲得したことは、特筆すべきことである。

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