シフトレバーはもはや消えゆく存在か? 発達する電子制御で、車は「ラジコン」になるかもしれない

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自動車のシフトレバーの変化が近年著しい。室内空間をスッキリさせるためもあるが、シフトレバーは消えゆく存在なのか。

そもそもATレバーはただのスイッチ

シフトレバーは消えゆく存在?(画像:写真AC)
シフトレバーは消えゆく存在?(画像:写真AC)

 自動車のシフトレバーの変化が近年著しい。それは、室内空間をスッキリさせるため、可能な限り凹凸をなくし、フラットな空間をイメージするデザインが増えたからだ。そんな消えゆく存在となりつつあるシフトレバーについて、大胆に予想していく。

 まず、マニュアルトランスミッション(MT)と、オートマチックトランスミッション(AT)の違いがある。単純に、手動操作か、自動機械操作かという違いもあるが、シフトレバーが直接ないし、ワイヤやロッドで機械的にリンクしているMTに対し、セレクトレバーの操作を信号化し、ATはコンピューターを介して電子的にリンクされていることも大きな違いだ。

 つまり、操作するにあたって、シフトレバーが必要不可欠なMTに対して、ATのセレクタースイッチは、レバータイプでも、ダイヤルタイプでも、ボタンタイプでも、信号が切り替えられるのであれば、どのような形状でもよく、もとよりデザインに幅がある部品になっていたのだ。

 かつてはATといっても、電子式ではなく、メカニカルに制御がされていた時代はレバーが必要だったが、コンピューターの普及とともに電子化され、セレクトレバーもスイッチになっていった。詳しくは、後述する。

ATの歴史

シフトレバーは消えゆく存在?(画像:写真AC)
シフトレバーは消えゆく存在?(画像:写真AC)

 世界初となるガソリン自動車は1880年代、ダイムラーやベンツが開発し、ATの登場は、およそ20年後の出来事だった。トヨタ自動車のクルマ情報サイト「GAZOO」によれば、ATの歴史は1904年までさかのぼる。量産化が開始されたのは、1939年ごろのようだ。

 日本で初めて国産の自動車が、1907(明治40)年に造られたことも合わせて考えると、車にはレバーが生えているイメージが、最初からあったといってもよいだろう。この頃は機械的なレバー操作が必須だった。

 そして、AT車が日本で普及する大きなきっかけとなったのが、1980年代から1990年代にかけ、変速ショックが少なくなり、駆動伝達性能も向上したことだ。

「AT車 = 高級車」

といったイメージもあったのではないだろうか。

 この時期に、AT車の普及率が80%を超えたというのは、自動車業界で伝わる大きな出来事のひとつだ。

 この頃、自動車の電子制御は大きく進歩した。ATの電子制御化、燃料噴射の電子制御化、アンチロック・ブレーキ・システム、横滑り防止装置などが登場するのもこの時期だ。もうすでに、シフトレバーはどんな形をしてもよかったのだ。

 しかし、この当時、ハンドル裏にある「コラムAT」、運転席横の「フロアAT」、いずれにせよ、レバータイプがほとんどだった。そして、その後ミニバンブームが到来すると、セレクトレバーはフロアからインパネ(エアコンのスイッチなどが付いているインストゥルメントパネル)に移動していった。

 そんな中、BMWやレンジローバーなどから、ダイヤル式モデルが登場した。筆者がそのダイヤル式を初めて見た時は、どこにセレクターがあるのか分からず、確認したことがある。それほど室内に溶け込んでおり、目新しさを感じた。

 そして近年、プリウスなどハイブリッドカーによく見られるタイプの、レバーと呼ぶには小さすぎるスティック式のタイプが普及。目立たずスッキリした近未来的なイメージをアピールしていると感じる。アフターマーケットのパーツとして、もっとスッキリしたスイッチタイプに変更したり、ダイヤルタイプに変更したりといったカスタマイズも可能な時代となってきたようだ。

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