「残クレアルファード」はなぜ社会に浸透したのか?──身の丈を超えた購買を生む欲望の正体、現代思想から考える

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高級ミニバン・アルファードを巡り、500万円超の車両価格の半分以上を数年後に据え置く残価設定ローンが広がるなか、月々負担の軽さに隠れた総支払と“他者模倣”による需要拡大が議論を呼んでいる。インターネット上で論争が続く。

他人の目に左右される選択

車購入時に残クレを利用した全国の男女180人を対象に調査した「利用者の理解度と意識」(画像:株式会社スガワラくん)
車購入時に残クレを利用した全国の男女180人を対象に調査した「利用者の理解度と意識」(画像:株式会社スガワラくん)

 この制度は、個人の暮らしを楽にするための手段なのか。それとも、終わりのない真似の競争に人を閉じ込めるものなのか。運転席に座り、ハンドルを握っているのは本当に自分なのか。横に並ぶ他人の目に動かされ、気づかないうちにアクセルを踏まされてはいないか。

 残クレが見せる豊かさは、実際に持ち物が増えることにはない。周囲の真似を続ける役目を与えられている点にある。ここで得ているのは移動の自由ではなく、他人の評価の枠のなかにとどまる状態だ。将来の売却価格という他人の基準に合わせて車を持ち続けることは、自分の行動を他人にゆだねることに等しい。

 今問われているのは、他人の目に左右されずに物を選ぶ力を取り戻せるかどうかである。自分の収入に合った生活を守れるかどうかが問われている。自分の考えで欲しい物を選ぶ力を取り戻すための決断が必要だ。

 残クレを使ったアルファードの広がりは、暮らしの自由を広げる手段とは言いにくい。ジラールが示した、真似によって生まれる競争のなかに人を引き込む構造である。この金融制度は、使う人に成功者の役を一時的に与えている。本来ははっきりしているはずの持ち物との関係をあいまいにしているのだ。

 所有の形がメーカー側に残ることで、使う人は他人の評価に従う立場に固定される。自分が持ち主だと思っていても、実際には売却価格という外の判断に従い続ける存在になるだろう。

 お金の面では、売却価格への強い依存が、自分と同じように車を持とうとする人が次々に現れることを前提とした、続いていく流れを生んでいる。この流れは、自分より後に負担を引き受ける人を常に必要とする。技術の面でも、他人の目を引く見た目が優先され、使いやすさの向上は後回しになりやすい。その結果、移動を楽にするための進歩が進みにくくなる。この制度は、人が自分の考えで物を選ぶ余地を小さくし、市場の評価という他人の基準に合わせざるを得ない状態を生み出しているのだ。

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