浅間山を爆走、表彰台独占したマシンがルーツ! 脚光浴びた「ヤマハYDS1」をご存じか
市販車クラス最強

このレースにおいて1、2、3フィニッシュを記録したYD1Aは、翌1958年にはアメリカのカタリナGPに遠征し6位入賞、さらに1959年の第3回浅間火山レースでは市販を前提とした仕様で登場したことで、YD1Aの事実上のストリートモデルだった250Sの注目度は高まる一方だったのである。
ヤマハ・スポーツ250Sのメカニカルスペックは刺激的だった。国産250ccクラスとしては例がなかった5速ミッションとツインキャブ。最高出力は今となっては高くはない20hpだったものの、その最高速度は140km/hオーバーとうわさされた。
雑誌や新聞に掲載された広告には、当代随一の人気俳優だった石原裕次郎を起用し、「飛ばせ、飛ぶ140km/h」という刺激的なコピーと共に誌面を飾った。ヤマハ・スポーツ250Sは翌1960年にはYDS1へとその名を改め、同時にエンジンその他にわずかなリファインを行った。
初期型である250SとYDS1の外観的識別点は、前者に対して後者はフロントフェンダーステーの取り付け部が、フロントフォークボトムケース中央部からアクスルシャフト部へと移動していたことである。
ヤマハ・スポーツ250S改めYDS1の存在は、ライバルメーカーだったホンダを強く刺激し、1960年にホンダCB72が登場する大きなきっかけとなった。なおYDS1の系譜は後に、YDS2、そしてYDS3へとマイナーチェンジを重ね、最終的には1969年のDS6まで発展した。
ちなみに1970年モデルとして登場したDX250は、エンジン/シャシー共に完全新設計であり、特にそのフレームは市販レーサーだったTD3とほとんど同じという完成度の高いものだった。
ヤマハの2ストロークサイクルスーパースポーツはこの後、RDシリーズを経てエンジンを水冷化したRZ250を通じて、まさに市販車クラス最強の称号をほしいままにするわけだが、その後継たるTZR250も含めて、常に市販レーサーと共にあったという意味では、250SとYDS1の系譜を担う存在だったということである。