「お仕置きして何が悪い」――なぜ、あおり加害者の6割は“後悔ゼロ”なのか? 路上にあふれる自称「正義の味方」の正体
私的制裁としてのあおり運転

2025年9月、岡山県真庭市の県道。軽乗用車を運転していた55歳の男が、大型トラックに対して約3kmに及ぶあおり運転を行った疑いで書類送検された。交差点でトラックが先に曲がったことに腹を立て、割り込みや急ブレーキ、さらには車を止めての威嚇を繰り返したという。その異様な光景はドライブレコーダーに克明に記録されていた。男は「トラックの運転に苛立ち停めてやろうと思って急ブレーキを踏んだ」と話し、容疑を認めている。被害者はあまりの恐怖から、その場を動けなくなるほどの精神的な打撃を受けた(『RSK山陽放送』2026年3月31日付け)。
この事件をひとりの男が起こした特異なトラブルとして片付けるのは容易だが、同じような火種は至る所に潜んでいる。弁護士ドットコムの調査(2023年3月30日発表)では、あおり運転を「したことがある」と答えた人は22.8%に上る。舞台の75.9%を占めるのは高速道路ではなく一般道で、きっかけとして最も多いのは「前の車のスピードが遅かった」という理由であり、58.7%に達する。
ここで注目すべきは、あおり運転を経験した人のうち、56.5%が
「後悔していない」
と答えている事実だ。執拗な威嚇は、公的な手続きによる解決を待てない個人が、自らの手で即座に状況を正そうとした「私的な制裁」の結果とも捉えられる。法的な処罰には時間がかかるからこそ、一部のドライバーは車という道具を使い、その場で直接的に相手を裁こうとする。
あおり運転を暴力ではなく、乱れた路上秩序を正すための活動と捉える自負が、彼らの行動を支えているのだろう。自分のペースを乱された際、公的な仕組みを介さず自ら動く道を選んでしまう。路上で繰り返される摩擦の背景には、司法やルールとは別のところで動く、危うい価値判断が横たわっているのだ。