「お仕置きして何が悪い」――なぜ、あおり加害者の6割は“後悔ゼロ”なのか? 路上にあふれる自称「正義の味方」の正体

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「“しつけ”の名で正当化されるあおり運転は後悔56.5%がなし。22.8%が経験し、58.7%は“低速”を契機に発生。効率と正義が衝突する路上で、私的制裁はなぜ常態化するのかを問う。」

自動化が突きつける統治の転換点

「あおり運転」の心理と背景。
「あおり運転」の心理と背景。

“しつけ”という言葉で正当化されるあおり運転は、個人の性格やマナーの欠如だけで片付く問題ではない。依然として多くの人が行為を後悔していないという事実は、その振る舞いが現在の交通環境において、彼らなりの理屈に合致してしまっていることを物語る。路上で噴出しているのは、突き詰めすぎた効率への執着と、それぞれの抱く正義が真正面からぶつかり合った末の帰結なのだ。

 罰則が厳しくなり、ドライブレコーダーの普及が進んだ今なお、多くの人が被害を経験している現実はあまりに重い。厳罰化という外部からの抑止力をもってしても、移動の効率を追い求める経済の要請や、自らの物差しで他者を正そうとする心理を完全に抑え込むのは容易ではない。

 この構造が生み出す摩擦を根底から取り払うには、個人の良心に委ねるのではなく、判断の主体を感情に左右されない仕組みへと移していく

「運転の自動化」

を待つほかないのではないか。人間が自らの時間を守るためにハンドルを握り、他者の動きを意図通りに制御しようとする限り、衝突は消えない。それは移動社会が宿命的に抱え続ける、やむことのないノイズとして響き続けるはずだ。

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