「お仕置きして何が悪い」――なぜ、あおり加害者の6割は“後悔ゼロ”なのか? 路上にあふれる自称「正義の味方」の正体
効率と安全の価値衝突

現在の道路は、いわば限られた時間を奪い合う空間へと変貌している。
・物流の現場がさらされる時間への重圧
・通勤時間の短縮志向
・日々の暮らしの効率化
――これらは個々の振る舞いとしては合理的だが、多くの車両が同じ場所で重なり合った瞬間、激しい摩擦が生まれることになる。
あおり運転を引き起こした理由をひも解くと、「スピードが遅かった」が30.2%、「制限速度で走っていた」が26.8%を占める(チューリッヒ保険会社の調査)。法規を守る側は事故などのリスクを遠ざけて動いている一方、速度を上げようとする側も時間あたりの成果を最大にしようとしている。もはや道路は公共の場というより効率を競い合う現場に近く、
・法的な安全性という価値
・ビジネス上の効率という価値
がアスファルトの上で激しくぶつかり合っている。弁護士ドットコムの調査の自由回答には、自分たちだけで作り上げた独自のルールが色濃く反映されている。
「“あおり運転”されるほうが悪いことが多い。早く進まないのであれば後ろに道を譲るべきだ」(福岡県、50代男性)
「相手が危険な割り込みをして来たため、指導するために追いかけた」(兵庫県、50代男性)
「加害者ではあるが、同時に被害者でもある。急なハンドル操作は“あおり運転”に見なされる。事故を未然に防げただけありがたいと思えとさえいいたい」(東京都、60代男性)
他者の運転を「正すべきだ」と考える心理は、ただの怒りというより、
「乱れた秩序を元に戻すための活動」
として本人のなかで強く肯定されているのだろう。車という閉ざされた箱は外への想像力を遮りやすい一方で、ペダルを踏むだけで強大な力を振るえてしまう。
「“あおり運転”の意識は無かったが、車間距離を詰めすぎて、同乗者にあおり運転になるといわれた」(三重県、60代男性)
という声があるように、自らの運転が与える威圧感に無自覚なケースも少なくない。
「家族を乗せて運転していた際、合流車線から来た車がこちらを見ずに合流してきたため、急ブレーキと急ハンドルでかわした。家族にも幸い怪我はなく、クラクションを鳴らしたものの、こちらを気にする素振りもなく走行していたため、頭に血が上りあおり運転をしてしまった」(富山県、30代男性)
というエピソードが象徴するように、相手の事情が見えないからこそ、他者の動きは自分への理不尽な邪魔としてしか映らない。その勝手な解釈をもとに、自らがお仕置きを下す役割を買って出てしまうのだ。あおり運転を行ったと答えた人のうち、40.2%を
「50代の男性」
が占めている。彼らの多くは、これまでの長い社会生活のなかで育んできた管理や監督といった意識を、無意識のうちに路上へと持ち込んでしまうようだ。
こうした層にとって、周囲の運転のつたなさは、社会に対する甘えや不誠実な態度として映る。ひとたびハンドルを握れば、職場で担ってきたはずの「正す側」としての役割がひょっこりと顔を出してしまう。未熟な他者を矯正すべき対象として追い詰めてしまう心理の裏側には、自分こそが
「移動社会の質を守る番人」
であるという、ある種の自負が働いているといわざるを得ない。