「トヨタの手柄は、俺のものだ」 勝者に“ただ乗り”するネット民の正体――「借り物の自尊心」と0.23%が生む称賛・攻撃の構造とは
業績が映し出す条件の相違

ネットを騒がせる企業への評価の偏りは、物事を分かりやすく仕分けたがる、人間の性(さが)のようなものに根ざしている。人は異なるもの同士の差を必要以上に大きく見積もり、逆に身内のなかにある共通点ばかりを強調してしまう。
巨額の利益を出した勝ち組と、大きな赤字を出した負け組。そうした極端な対立構造に押し込めることで、複雑な現実は削ぎ落とされていく。だが、企業の業績や戦略は、それだけで絶対的な優劣が決まるようなものではない。その時々の環境に、どれほど適合しているかという結果に過ぎないからだ。
トヨタが示した大きな純利益も、1ドル150円という円安や、北米でのハイブリッド車人気という、現在の条件がうまく噛み合った成果といえる。一方で、米国の関税によって1兆4500億円もの利益が削られる懸念を抱え、中国の輸出規制やAI半導体の高騰といった供給網の脆さにも直面している。いわば、際どい均衡の上に成り立つ最適解なのだ。
ホンダがエンジン車廃止の目標を見直し、一部のEV開発を断念したこと、あるいは日産が踏み切った人員削減。これらも、EV普及の勢いが鈍るという予期せぬ変化のなかで選んだ、必死の生存戦略に他ならない。ホンダは最大2兆5000億円もの損失リスクを抱える一方で、自己資本比率は38%を保ち、4兆円を超える手元資金を握っている。こうした事実は、激しい非難の声にかき消されがちだ。
いま必要なのは、こうした拙速な決めつけから離れ、企業という存在を時間と環境の流れのなかで捉え直すことではないか。目に映る数字や評判は、決して最終的な審判などではない。ある状況下でたまたま保たれている、一時的な揺らぎに過ぎない。評価とは、勝ち負けを断じることではなく、どのような条件で何が起きているのかを丁寧に紐解く作業であるべきだ。