「50代は馬車馬のように働け」は暴論? それとも正論?トヨタ会長が放つ「敵前逃亡」という強烈な問い――激動期に求められる人材とは

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「50代こそ働け」は暴論か。それとも日本産業の再起を託された現場のリアルか。経験・体力・判断力が交差するこの世代に、いま最も高負荷の意思決定と移動を託すべき理由を、トヨタ会長の発言を起点に読み解く。問題は働き方ではない。誰が最終責任を引き受け、動くのかという問いそのものである。

責任移転にすり替わる世代交代

馬車馬のイメージ(画像:写真AC)
馬車馬のイメージ(画像:写真AC)

 豊田氏は「自分は次の世代に替わります」という発言を「敵前逃亡」と表現した。この言葉は、現場に残された人間に重い意味を持つ。

 かつて日本企業は、50代で役職定年を迎え、60歳までの数年間を閑職で過ごし、あとは年金とともに去る、というモデルを採用していた。しかし現在、60歳以降も再雇用で働き続けるのが一般化し、かつ40代以下の人材は人員構成上の理由からも少数派となっている。つまり、50代がその役割を引き継ぐ対象が、現実には不在である。

 このような現実のなかで、次の世代へ引き継ぐという言葉は、責任の転嫁でしかない。組織のボトルネックは引き継ぎによっては解消されない。変化の多い業界では、未完成な判断を未成熟な後輩に託すことは、組織全体のリスクを増幅させる。今や引き継ぎとは、業務軽減ではなく、判断停止を隠蔽する言葉になってしまっている。

 したがって、豊田氏の発言は、役割のバトンを渡すという発想そのものを問い直している。重要なのは、何歳で仕事を引き継ぐかではない。今、自分にしかできない判断を誰が担うのか、という問いへの向き合い方である。

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