ホンダの遊園地「多摩テック」覚えてる? 閉園から17年、観覧車は海外へ! 13万平方メートルの跡地が問いかける、これからの街づくりとは

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48年の歴史に幕を下ろしたホンダの遊園地「多摩テック」。閉園から17年、約13万平方メートルの跡地は事業費1.7倍増にともなう大学構想の頓挫や60億円超の泥沼訴訟を経て、今も漂流を続ける。海外展開へとかじを切った運営企業と、出口戦略を欠いたまま残された巨大不動産。その鮮烈な対比から、レジャー撤退戦の深淵を読み解く。

多摩テック閉園と跡地再開発の混迷

在りし日の多摩テック(画像:妖精書士 (talk) )
在りし日の多摩テック(画像:妖精書士 (talk) )

 2009(平成21)年9月、東京・日野市の遊園地「多摩テック」が48年の歴史に幕を下ろした。ホンダが掲げた「乗り物を操る楽しさ」を伝えるこの場所は、子どもたちの遊び場であると同時に、将来のクルマやバイクの愛好家を育む場でもあった。高度経済成長期、自動車メーカーが運営するレジャー施設には、将来の顧客を開拓するための宣伝投資や、社会貢献の一環としての役割があった。

 しかし、時代の変化とともに、親会社の支援を前提とした顧客育成の場から、自力で利益を生み出す独立採算の事業へと転換を求められるようになった。現在、ホンダグループの国内レジャー事業は、三重県の「鈴鹿サーキット」と栃木県の「モビリティリゾートもてぎ」を運営するホンダモビリティランド(三重県鈴鹿市、資本金55億円)に集約されている。人材派遣を担う子会社のホンダスタッフィングサービスも含め、強固な事業基盤を築いてきた。その源流には、かつて日野市にあった遊園地の存在がある。

 ところが、閉園後に残された約13万平方メートルの跡地では、明治大学のキャンパス整備計画が頓挫し、共同事業者との訴訟にまで発展した。レジャー事業の採算性、企業の撤退判断、土地開発にともなう環境保全や建設費の問題を通じて、ひとつの土地がたどった半世紀以上の変遷を追う。

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