ホンダの遊園地「多摩テック」覚えてる? 閉園から17年、観覧車は海外へ! 13万平方メートルの跡地が問いかける、これからの街づくりとは

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48年の歴史に幕を下ろしたホンダの遊園地「多摩テック」。閉園から17年、約13万平方メートルの跡地は事業費1.7倍増にともなう大学構想の頓挫や60億円超の泥沼訴訟を経て、今も漂流を続ける。海外展開へとかじを切った運営企業と、出口戦略を欠いたまま残された巨大不動産。その鮮烈な対比から、レジャー撤退戦の深淵を読み解く。

赤字転落と世界的不況が招いた閉園

多摩テック周辺の地形(画像:国土地理院)
多摩テック周辺の地形(画像:国土地理院)

 多摩テックの閉園は2009年2月に発表され、同年9月30日に営業を終えた。当時の運営会社であるモビリティランドは、創業の理念を鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎが大きく担うようになり、多摩テックはその役割を終えたと説明している。

 同社の前身は、1961年設立の「モータースポーツランド」だ。数度の商号変更を経て、2006(平成18)年に本田技研工業の完全子会社となった後、もてぎを運営する企業と対等合併した。東西の二大モータースポーツ拠点を単一法人で統合管理する体制が整うにつれ、グループ内での多摩テックの位置づけは相対的に低下していった。

 2000年代には、大型テーマパークの存在感が高まった。日本生産性本部の『レジャー白書2026(速報版)』が示すように、遊園地産業は「参加率や頻度は低いが客単価は極めて高い」という特徴を持つ。巨大施設との集客力や投資対効果の差は、広がる一方だった。

 生き残りをかけ、1997年9月には、敷地内から湧き出た黒湯を生かした天然温泉「クア・ガーデン」や、中国レストラン「楼蘭」を開業した。2003年までは、関東地方で唯一の天然温泉併設テーマパークだった。さらに、主力だった絶叫系アトラクションを順次取り壊し、2006年の「ACRO-X」や2007年の「ドリームX」など、幼児や小さな子どもを連れた家族向けの施設へと大きくかじを切った。

 しかし、光熱費や設備の維持費が黒字化を阻むなか、家族向けに偏ったことで、飲食やグッズにお金を使う若年層の客離れを招いた。割引券の多用によって客単価も下がり、2002年には年間入場者数が100万人を超えたものの、実際には1999年以降、経常損失を計上する赤字構造に陥っていた。

 折しも、消費者の余暇を取り巻く環境が厳しさを増すなか、2007年から2008年にかけて世界金融危機(リーマン・ショック)が発生し、深刻な不況をもたらした。景気の先行きに不透明感が広がるなか、2009年2月、モビリティランドは同年9月末で多摩テックを閉園することを決定した。同社は、鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎが創業の理念を担うようになり、多摩テックはその役割を終えたと説明している。

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